新型コロナウイルスに関する情報は、厚生労働省の情報発信サイトを参考にしてください。情報を見る
エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
水玉消防団ヒストリー第9回 1980年 ジークフリードはジッパーさげて|K&Bパブリッシャーズ
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
水玉消防団ヒストリー第9回 1980年 ジークフリードはジッパーさげて|K&Bパブリッシャーズ
取材・文◎吉岡洋美 協力◎地引雄一 いつも、何かがそこで起きている バンド結成から約1年数ヶ月の1980年... 取材・文◎吉岡洋美 協力◎地引雄一 いつも、何かがそこで起きている バンド結成から約1年数ヶ月の1980年、新たな年代の幕開けとともにライブハウスデビューした水玉消防団。 東京のパンク、ニューウェイヴシーンの勃興期、この初ライブハウスで、音楽センス、個性、存在感ともに共感できるフィーメイル・パンク・バンドたちと出会い、「そもそもバンドはミーハーで始めた」(カムラ)彼女たちが、「他のバンドと何が違うかというと、その目的のなさ」(天鼓)というパワーのまま、結果的にJORAを超えて東京パンクシーンの扉を開けることになった。共演した女性パンクバンドたちとは、ライブ企画を重ねる度にネットワークも広がってくる。 カムラ「個人的にもライブ情報をゼルダのチホちゃんたちとシェアするようになって、当時、とにかく東京ではパンク、ニューウェイヴのシーンがヴィヴィッドに日々動いていた時期。“ライブ”というより“出来