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ブックマーク / d4p.world (9)

  • 被爆と出自、70年近く隠し続けた。今なぜ、自身の名で被爆体験を語るのか。

    頭を圧するほどの強烈な日差しが容赦なく降り注ぐ8月最初の午後。広島記念平和公園の木々の間からは、耳の中でこだまするほどのセミの声が響いてくる。うだるような暑さの中でも、慰霊碑に手を合わせに来る人の姿が絶えない。いまだ引き取り手のない遺骨、7万柱が供養されている原爆慰霊塔の前に差しかかったとき、日傘を差しながらゆっくりと歩いていた李鐘根(イ・ジョングン)さんが、噛みしめるように語った。「あの混乱の中で、姉を探しに行くことさえできなかったんです。だからここを訪れる度、姉の名を呼ぶんですよ」。1945年8月6日、陸軍の被服支廠(ししょう)で働いていた鐘根さんの姉は、今も行方がつかめないままだ。 鐘根さんは16歳の時、当時勤めていた広島鉄道局に出勤途中、爆心地から約1.8キロの場所で被爆した。その体験を人前で証言し始めたのは、2012年、80歳を超えてからだった。「自分の体の火傷にね、ウジがわくん

    被爆と出自、70年近く隠し続けた。今なぜ、自身の名で被爆体験を語るのか。
  • 「やらされた」「しかたがなかった」という語りの危うさ――毒ガス製造の島が問う広島の加害の歴史

    カタコトと軽快なリズムを奏でながら、呉線は海沿いをゆっくりと駆ける。その車窓から見える、瀬戸内海の穏やかな水面に浮かぶ島々の一つが、大久野島だ。 忠海港からのぞんだ大久野島。(安田菜津紀撮影) 今はその姿をゆっくりと眺めることができるが、かつては列車内の海側の窓は、全て遮蔽されていた。大久野島は、「地図から消された島」として、そこで行われていることのすべてが「機密」とされた。日軍の工場では、毒ガスの製造が進められていたのだ。 岡田黎子さんの画集『大久野島・動員学徒』より。(安田菜津紀撮影) 大久野島は忠海港からフェリーで15分ほどの場所にある。ぐるりと一周しても4キロほどの小さな無人島だ。宿泊施設はあるものの、そこに「居住」している人はいない。 島には今も、ヒ素が入った筒が地中に埋められている場所もある。飲み水にもヒ素汚染の恐れがあり、ちょうど私たちが島に着いたとき、三原市から飲料水を運

    「やらされた」「しかたがなかった」という語りの危うさ――毒ガス製造の島が問う広島の加害の歴史
  • 安田菜津紀に対する差別裁判の高裁勝訴判決について——解説:「差別的な表現を用いた侮辱」とは - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    記事は裁判詳細をお伝えするため一部に差別文言を掲載しております。ご注意ください。 Dialogue for People副代表/フォトジャーナリストの安田菜津紀へのインターネット上での差別書き込みについて、2021年12月8日に提訴、その後の控訴審の判決が、2024年2月21日に言い渡されました。結果としては、その投稿は「差別的な表現を用いた侮辱」であるという一審判決を維持、という形にて判決が下されました。被告はついに最後まで法廷に姿を表しませんでした。記事ではこの訴訟・判決の意義や課題についてご紹介します。 件のあらまし 2020年、Dialogue for Peopleの公式サイトに、安田の執筆した記事『もうひとつの「遺書」、外国人登録原票』を掲載したところ、それに関連してTwitter上で差別コメントが投稿されました。この記事は、朝鮮半島にルーツを持ち、元は韓国籍、後に日国籍

    安田菜津紀に対する差別裁判の高裁勝訴判決について——解説:「差別的な表現を用いた侮辱」とは - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
  • 安田菜津紀および在日コリアンに対する差別投稿裁判の進捗について――次世代に問題を繰り越さないために - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    幼い頃、母は私に月300冊もの絵を読み聞かせてくれていた。1日10冊、となると図書館で絵を選んでくるだけでも一苦労だったはずだ。ある時、珍しく仕事から早く帰ってきた父に、母に代わって絵を読んでもらおうとしたことがあった。飲店の店主だった父は、仕... そうした書き込みのうち、発信者情報開示請求の裁判により2件の発信者を特定できたため、2021年12月8日に、この2件(【案件①】【案件②】)について東京地方裁判所に訴状を提出しました。提訴会見の様子は下記記事を参照ください。

    安田菜津紀および在日コリアンに対する差別投稿裁判の進捗について――次世代に問題を繰り越さないために - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
    stonedlove
    stonedlove 2023/12/20
    2023年6月19日
  • 差別を正当化する妄想の寄せ集め――「在日特権」というデマ(安田浩一さん寄稿) - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    記事はノンフィクションライターの安田浩一さんによる寄稿記事です。 もはや都市伝説どころか、「神話」の域にまで達しているかと思いきや、一部ではまだ現実社会の“仕組み”として認識されていることに驚いた。 いわゆる「在日特権」のことである。 在日コリアンが日社会において優越的な権利を有しているというトンデモ説だ。 在日コリアンは公共料金の支払いを免除されている、大企業への就職に際し優先枠が設けられている、といったものから、政界を牛耳っている、はては日を支配しているといった、荒唐無稽な陰謀論までもが、いまだネット上にあふれている。 ネットで目にするだけではない。少し前にも、ヘイトスピーチをテーマとした行政主催による講演会の終了後、会場参加者の一人から「あなた(※筆者)が言うとおり差別はよくないと思うが、在日の人たちが特権を持っていることについてはどう思うのか」と真顔で訊ねられたことがあった。

    差別を正当化する妄想の寄せ集め――「在日特権」というデマ(安田浩一さん寄稿) - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
  • 被爆と出自、70年近く隠し続けた。今なぜ、自身の名で被爆体験を語るのか。 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    頭を圧するほどの強烈な日差しが容赦なく降り注ぐ8月最初の午後。広島記念平和公園の木々の間からは、耳の中でこだまするほどのセミの声が響いてくる。うだるような暑さの中でも、慰霊碑に手を合わせに来る人の姿が絶えない。いまだ引き取り手のない遺骨、7万柱が供養されている原爆慰霊塔の前に差しかかったとき、日傘を差しながらゆっくりと歩いていた李鐘根(イ・ジョングン)さんが、噛みしめるように語った。「あの混乱の中で、姉を探しに行くことさえできなかったんです。だからここを訪れる度、姉の名を呼ぶんですよ」。1945年8月6日、陸軍の被服支廠(ししょう)で働いていた鐘根さんの姉は、今も行方がつかめないままだ。 鐘根さんは16歳の時、当時勤めていた広島鉄道局に出勤途中、爆心地から約1.8キロの場所で被爆した。その体験を人前で証言し始めたのは、2012年、80歳を超えてからだった。「自分の体の火傷にね、ウジがわくん

    被爆と出自、70年近く隠し続けた。今なぜ、自身の名で被爆体験を語るのか。 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
  • 【エッセイ】出自について - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    記事では実態をお伝えするために、差別文言を記載している箇所がありますのでご注意ください。 「民主主義とは、その政治家や政党を支持しない人、投票しなかった人、そもそも投票する権利さえない人たちの声とも大切に向き合うことだと思ってきました。(安倍氏の)国葬は、むしろそれとは真逆の選択ではないでしょうか」 7月24日(日)、TBSテレビ「サンデーモーニング」で、私はこうした趣旨の発言をしました。今も考えは変わっていません。公の場での発言には、当然ですが必ず責任が伴い、社会の中で批評や論評の対象になるものです。私のこうした発言にも様々な意見が寄せられましたが、中には「論評」とは言い難いものもありました。 東京・中野区議を務める吉田康一郎氏は自身のTwitterで、上記の私の発言をもって「(安田は)降板させるべき」と書き込んだ後、続く投稿では、私が過去に書いた記事を引用したうえで、こうコメントし

    【エッセイ】出自について - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
    stonedlove
    stonedlove 2022/07/28
    アウティングと犬笛をセットにした極めて悪質な差別扇動。醜い。
  • 安田菜津紀および在日コリアンへの差別投稿・ヘイトスピーチに対する訴訟について - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    幼い頃、母は私に月300冊もの絵を読み聞かせてくれていた。1日10冊、となると図書館で絵を選んでくるだけでも一苦労だったはずだ。ある時、珍しく仕事から早く帰ってきた父に、母に代わって絵を読んでもらおうとしたことがあった。飲店の店主だった父は、仕... この記事は、父の家族のルーツと生きた道のりの一端を、古い書類をたよりにたどったものです。父は、私が中学2年生の時に亡くなりました。その後、家族の戸籍を手にし、父が在日コリアンだったことを初めて知ることになります。 「なぜ、父は自身の出自を語らなかったのか?」――その疑問に答えを見出そうと、父の生家やその周辺に暮らす在日コリアンの歴史を調べていきました。そしてそれは、壮絶な差別やヘイトスピーチの問題に向き合うことでもありました。今もネット上で消費され続けるヘイトクライムの映像の数々を目にする度に、私は思うのです。「もしかすると父は、こう

    安田菜津紀および在日コリアンへの差別投稿・ヘイトスピーチに対する訴訟について - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
  • 「この国の崩れ方がここまできてしまったのか」―入管はなぜウィシュマさんのビデオ映像を開示しないのか - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    「姉はすっかり変わってしまった姿で、まだ若いはずなのに、年取った人のようでした。指などを見たら、すごくやせていて…」。3月6日に名古屋出入国在留管理局(以下、名古屋入管)で亡くなったウィシュマさんの妹、三女のポールニマさんは、5月17日の記者会見で、ウィシュマさんのご遺体と対面した時の様子を、声を詰まらせながら語った。 ウィシュマさんは英語講師を夢見て来日後、学校に通えなくなり、昨年8月に施設に収容された。帰国できなかった背景には、同居していたパートナーからのDVと、「帰国したら殺す」という脅しがあったことが、ウィシュマさん自身が書き記したものや、支援者への証言から明らかになっている。けれども帰国できない意思を示した後から、入管職員からの高圧的な言動や嫌がらせが増え、精神的に追い詰められていったことを、支援者に明かしていたという。亡くなる直前は歩けなくなるほど衰弱していたにも関わらず、点滴

    「この国の崩れ方がここまできてしまったのか」―入管はなぜウィシュマさんのビデオ映像を開示しないのか - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
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