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書評に関するstonifeのブックマーク (2)

  • 「赤毛のアン」を読み終えて - ハックルベリーに会いに行く

    「赤毛のアン」を読み終えて、「世界的名作にはやはり同一の刻印というものがいつも押してあるのだなあ」というのを再確認した。同一の刻印――それは「天才の刻印」と言っても良い。「天才」と言っても書いたモンゴメリが天才というのではなく、「赤毛のアン」という作品自体が天才なのだ。小説というのはそういう自立性と人格を持っている。そして「赤毛のアン」はまちがいなく天才の小説の一つだ。 天才の刻印の一つに「風景」がある。作品中に美しい風景が描かれているか否かがその作品の価値を決める。その作品が「天才」であるかどうかを決めるのだ。全ての天才の作品には美しい風景が描かれている。これはもうあまねく共通している。「ドン・キホーテ」も「ハックルベリー・フィンの冒険」も「風と共に去りぬ」みんなそうだ。「赤毛のアン」にもそれが出てくるのは言うまでもない。そこでは特に夕景がよく出てくる。それはもうありとあらゆる夕景が出て

    stonife
    stonife 2008/09/15
    すばらしい書評。僕も愛すべき人を愛して生きたいです
  • Passion For The Future: 超教養

    教養 スポンサード リンク ・超教養 さとう珠緒の文章がおもしろすぎる。テレビで見ていると、この人案外頭がよさそうだよなあと思っていたのだが、こういうエッセイの文才があったとは驚いた。 Webダ・ヴィンチでの隔週連載をベースに単行化したブリッコ書評である。 ・さとう珠緒のバカブックガイド http://web-davinci.jp/contents/tamao/index.php ブリッコというキャラは天然ではありえない。「思えば、私は小学生のときから計算に計算を重ねて生きてきました。そして長じて獲得したのは、芸能界でのブリッコポジション。もちろん、今後もブリッコ道を邁進していく所存です。」と冒頭で宣言がある。ブリッコは自分の見え方に対して敏感だ。だから、さとう玉緒は書評するの書き手たちの自意識をも行間から見事に看破してバッサバッサと斬っていく。斬るといってもその手法は「ほめ殺し」

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