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ブックマーク / yamaiga.com (2)

  • 道路レポート 田代隧道 その1

    に結局「神風」は、吹かなかった。 しかし、戦争とともに生まれ「神風鉱山」と呼ばれた“ヤマ”は、戦後も暫し生きながらえ、八甲田の奥山に幾つもの人の生を重ねた。 このレポートは、主に戦中に開発され、邦随一と称えられた上北鉱山。 かの山間僻地鉱山に働き暮らす人々が、完成を希った隧道の、その現状をお伝えするものである。 上北鉱山は、青森市の南東に25kmほどの山中に位置し、天間林村に所属する。(現在は町村合併により七戸町) 八甲田連山の北方に深く刻まれた大坪川の源流部に、幾つもの坑口が口を開け、広く鉱山街が形成されていたが、昭和48年6月に全山が閉山している。 上北鉱山の歴史を簡単に紐解いてみる。 開発が始まったのは比較的遅く、格的に稼働を始めたのは昭和16年頃からである。 当初硫化鉄鉱を産し、これが窒素肥料の原料となることから、糧増産の国是に従い急速に開発は進んだ。 間もなく高品位な銅

    道路レポート 田代隧道 その1
  • 隧道レポート

    お馴染み「全国隧道リスト」に「昭和8年竣工」と示されている古隧道の一つに、青森県青森市の善知鳥前隧道がある。 東北の最大幹線で日最長の国道である4号線、その最後に待ち受けていた難所「善知鳥崎」は、かつて「親不知子不知に匹敵する」と称された難所であったという。 そこに穿たれた隧道とは、一体どのようなものだったのだろうか? 複雑な変遷を辿った、善知鳥崎を越える道の謎を紐解こう。 青森市久栗坂は、陸奥湾沿いに走る東北線の野内駅と浅虫温泉駅の丁度中間に位置する。 レールは集落を縦断しているものの駅はなく、また国道4号線も久栗坂トンネルでやや内陸を通過してしまっている。しかし、青森市街にも近い比較的ひらけた集落である。 久栗坂の往来の中心は、旧国道である一般県道259号「久栗坂造道線」である。 昭和11年竣工の根井橋は、根井川の最も河口よりに架かる県道の橋だ。 正面に見える小松山(海抜244.9

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