日本に結局「神風」は、吹かなかった。 しかし、戦争とともに生まれ「神風鉱山」と呼ばれた“ヤマ”は、戦後も暫し生きながらえ、八甲田の奥山に幾つもの人の生を重ねた。 このレポートは、主に戦中に開発され、本邦随一と称えられた上北鉱山。 かの山間僻地鉱山に働き暮らす人々が、完成を希った隧道の、その現状をお伝えするものである。 上北鉱山は、青森市の南東に25kmほどの山中に位置し、天間林村に所属する。(現在は町村合併により七戸町) 八甲田連山の北方に深く刻まれた大坪川の源流部に、幾つもの坑口が口を開け、広く鉱山街が形成されていたが、昭和48年6月に全山が閉山している。 上北鉱山の歴史を簡単に紐解いてみる。 開発が始まったのは比較的遅く、本格的に稼働を始めたのは昭和16年頃からである。 当初硫化鉄鉱を産し、これが窒素肥料の原料となることから、食糧増産の国是に従い急速に開発は進んだ。 間もなく高品位な銅