タグ

ブックマーク / www.aozora.gr.jp (7)

  • 中島敦 文字禍

    文字の霊(れい)などというものが、一体、あるものか、どうか。 アッシリヤ人は無数の精霊を知っている。夜、闇(やみ)の中を跳梁(ちょうりょう)するリル、その雌(めす)のリリツ、疫病(えきびょう)をふり撒(ま)くナムタル、死者の霊エティンム、誘拐者(ゆうかいしゃ)ラバス等(など)、数知れぬ悪霊(あくりょう)共がアッシリヤの空に充(み)ち満ちている。しかし、文字の精霊については、まだ誰(だれ)も聞いたことがない。 その頃(ころ)――というのは、アシュル・バニ・アパル大王の治世第二十年目の頃だが――ニネヴェの宮廷(きゅうてい)に妙(みょう)な噂(うわさ)があった。毎夜、図書館の闇の中で、ひそひそと怪(あや)しい話し声がするという。王兄シャマシュ・シュム・ウキンの謀叛(むほん)がバビロンの落城でようやく鎮(しず)まったばかりのこととて、何かまた、不逞(ふてい)の徒の陰謀(いんぼう)ではないかと探って

  • 夏目漱石 私の個人主義

    ――大正三年十一月二十五日学習院輔仁会において述―― 私は今日初めてこの学習院というものの中に這入(はい)りました。もっとも以前から学習院は多分この見当だろうぐらいに考えていたには相違(そうい)ありませんが、はっきりとは存じませんでした。中へ這入ったのは無論今日が初めてでございます。 さきほど岡田さんが紹介(しょうかい)かたがたちょっとお話になった通りこの春何か講演をというご注文でありましたが、その当時は何か差支(さしつかえ)があって、――岡田さんの方が当人の私よりよくご記憶(きおく)と見えてあなたがたにご納得のできるようにただいまご説明がありましたが、とにかくひとまずお断りを致(いた)さなければならん事になりました。しかしただお断りを致すのもあまり失礼と存じまして、この次には参りますからという条件をつけ加えておきました。その時念のためこの次はいつごろになりますかと岡田さんに伺(うかが)い

  • 三木清 人生論ノート

    近頃私は死といふものをそんなに恐しく思はなくなつた。年齡のせゐであらう。以前はあんなに死の恐怖について考へ、また書いた私ではあるが。 思ひがけなく來る通信に黒枠のものが次第に多くなる年齡に私も達したのである。この數年の間に私は一度ならず近親の死に會つた。そして私はどんなに苦しんでゐる病人にも死の瞬間には平和が來ることを目撃した。墓に詣でても、昔のやうに陰慘な氣持になることがなくなり、墓場をフリードホーフ(平和の庭――但し語原學には關係がない)と呼ぶことが感覺的な實感をぴつたり言ひ表はしてゐることを思ふやうになつた。 私はあまり病氣をしないのであるが、病床に横になつた時には、不思議に心の落着きを覺えるのである。病氣の場合のほか眞實に心の落着きを感じることができないといふのは、現代人の一つの顯著な特徴、すでに現代人に極めて特徴的な病氣の一つである。 實際、今日の人間の多くはコンヴァレサンス(病

  • 芥川龍之介 トロッコ

    小田原熱海(あたみ)間に、軽便鉄道敷設(ふせつ)の工事が始まったのは、良平(りょうへい)の八つの年だった。良平は毎日村外(はず)れへ、その工事を見物に行った。工事を――といったところが、唯(ただ)トロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。 トロッコの上には土工が二人、土を積んだ後(うしろ)に佇(たたず)んでいる。トロッコは山を下(くだ)るのだから、人手を借りずに走って来る。煽(あお)るように車台が動いたり、土工の袢天(はんてん)の裾(すそ)がひらついたり、細い線路がしなったり――良平はそんなけしきを眺(なが)めながら、土工になりたいと思う事がある。せめては一度でも土工と一しょに、トロッコへ乗りたいと思う事もある。トロッコは村外れの平地へ来ると、自然と其処(そこ)に止まってしまう。と同時に土工たちは、身軽にトロッコを飛び降りるが早いか、その線路の終点へ車の土をぶちまける。そ

  • 伊丹万作 戦争責任者の問題

    最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつ

  • 八木重吉 秋の瞳

    私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。 [#改ページ]

  • 寺田寅彦 科学者とあたま

    私に親しいある老科学者がある日私に次のようなことを語って聞かせた。 「科学者になるには『あたま』がよくなくてはいけない」これは普通世人の口にする一つの命題である。これはある意味ではほんとうだと思われる。しかし、一方でまた「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」という命題も、ある意味ではやはりほんとうである。そうしてこの後のほうの命題は、それを指摘し解説する人が比較的に少数である。 この一見相反する二つの命題は実は一つのものの互いに対立し共存する二つの半面を表現するものである。この見かけ上のパラドックスは、実は「あたま」という言葉の内容に関する定義の曖昧(あいまい)不鮮明から生まれることはもちろんである。 論理の連鎖のただ一つの輪をも取り失わないように、また混乱の中に部分と全体との関係を見失わないようにするためには、正確でかつ緻密(ちみつ)な頭脳を要する。紛糾した可能性の岐路に立ったときに、

  • 1