"私は、たった三文字にすぎないこの名前を言うだけでも世の中がざわざわと騒ぎだす、問題の人物です。お金も、名誉も貪ることなく、ただ平和のみを語って生きてきただけなのですが、世の中は、私の名前の前に数多くの異名を付け、拒否し、石を投げつけました。私が何を語るのか、何をする人間なのかを調べようともせずに、ただ反対することから始めたのです。"-文鮮明師の自叙伝‘平和を愛する世界人として’序文中 日本占領下である1920年陰暦1月6日、平安北道の定州で生まれた文鮮明師は、愛国心の強いキリスト教の家門で育った。 先生に多くの教えと影響を与えた大叔父の文潤国先生は、牧師であり独立運動家で、3.1独立運動に参与した李昇薰先生と五山学校の設立を主導した。文潤国先生が家門の全財産を上海臨時政府に独立基金として送り、家門の事情が難しくなったりもしたが、少年時代の先生は民族の苦難と自身の運命について祈り求め続けた