1998年、奈良県のキトラ古墳の石室で天文図が発見され、多くの人たちが 注目しました。しかし、そこに描かれていた星座の形は、私たちが知ってい るものとは全く違っていて馴染みの無いものでした。というのも、描かれて いたのは中国流の星座だったからです。現代に生きる私たちにとって星座と いうと西洋星座の事を指しますが、古代から江戸時代末までの日本では、中 国流の星座を指していました。ですから、日本の星の文化を理解するには中 国星座を避けて通るわけにはいかないと言えましょう。 中国の星座は、今から2,500年位くらい前に成立した星座体系で、 西洋などの影響を全く受けずに独自に発達しましたといわれています。 星座は大きく分けて2つのグループがあります。第1のグループは 「二十八宿」と呼ばれる天の赤道に沿って作られた28の星座で、 天文学や星占いに重要な役割をもっているため歴史も古く、 紀元前8~6世