大学時代の6年間、そもそも外食できるところがない田舎だったから、ずっと自炊をしていたけれど、今から思うと、あれは自炊ができていたとは言えなかった。 冷蔵庫にあるものを眺めて、とりあえず食べられる何かを作る、あるいは料理の本を眺めて、材料を揃えて何かを作ることならば、当時の自分にだってできていた。ところが気がついたら冷蔵庫は空っぽだったり、料理の本を眺めて、材料をそれから買い出しに行く必要があったり、そうした遠回りは、6年間変えられなかった。 「できる」の深度 そこにある材料で、一人分のご飯を作れる人は珍しくない。1年間を通じて、そこそこバランスのとれた食事を作れるだけの材料を、常に「そこ」に準備しておける人はほとんどいない。 手段が容易であることは、運用が容易であることを意味しない。手段にどれだけ通じたところで、運用の考えかたは、もしかしたら出てこない。 映画では、スタローンやシュワルツェ