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文章と本に関するsuna_zuのブックマーク (5)

  • オーウェル『1984年』序文からわかる、ピンチョンのつまらなさとアナクロ性 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    Executive Summary トマス・ピンチョンのオーウェル『1984年』序文は、まったく構造化されず、思いつきを羅列しただけ。何の脈絡も論理の筋もない。しかもその思いつきもつまらないものばかり。唯一見るべきは、「補遺;ニュースピークの原理」が過去形で書かれていることにこめられた希望だけ。だが、考えて見れば、ピンチョンはすべて雑然とした羅列しかできない人ではある。それを複雑な世界の反映となる豊穣な猥雑さだと思ってみんなもてはやしてきた。だが実はそれは、読者側の深読みにすぎないのかもしれない。そしてその深読みが匂わせる陰謀論が意味ありげだった時代——つまり大きな世界構造がしっかりあって、裏の世界が意味をもった60-80年代——にはそれで通ったのに、1990年代以降はもっと露骨な陰謀論が表に出てきてしまい、ピンチョン的な匂わせるだけの陰謀論は無意味になった。それがかれの最近の作品に見られ

    オーウェル『1984年』序文からわかる、ピンチョンのつまらなさとアナクロ性 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • 夢野久作 近世快人伝

    筆者の記憶に残っている変った人物を挙げよ……という当代一流の尖端雑誌新青年子の註文である。もちろん新青年の事だから、郵便切手に残るような英傑の立志談でもあるまいし、神経衰弱式な忠臣孝子の列伝でもあるまいと思って、なるべく若い人達のお手になりそうにない、処世方針の参考になんか絶対になりっこない奇人快人の露店を披(ひら)く事にした。 とはいえ、何しろ相手が了簡(りょうけん)のわからない奇人快人揃いの事だからウッカリした事を発表したら何をされるかわからない。新青年子もコッチがなぐられるような事は書かないでくれという但書(ただしがき)を附けたものであるが、これは但書を附ける方が無理だ。奇行が相手の天性なら、それを書きたいのがこっちの生れ付きだから是非もない。サイドカーと広告球(アドバルン)を衝突させたがる人間の多い世の中である。お互いに運の尽きと諦めるさ。 [#改ページ] ナアーンダ。奇人快人と

  • アヴィセンナ『ハイイ・イブン・ヤクザーン(覚知の息子である生命)の物語』4 : ヘルモゲネスを探して

    2016年08月06日14:05 アヴィセンナ『ハイイ・イブン・ヤクザーン(覚知の息子である生命)の物語』4 カテゴリアヴィセンナの神秘的物語三題 yoohashi4 Comment(0) Tr. eng. by W. R. Trask from fr. Henry Corbin, Avicenna and the Visionary Recital, 1960 13 わたしは彼に哀願した。「西の境界区分とは何であり、西の方がわれわれの町からは近いのかどうか」。彼はわたしに言った。西の終端には広大な海がある。これは神の書で熱(泥)海と呼ばれているところ。太陽が沈むのはこの部分である。この海に流れ込む潮流は人の住まぬ土地に由来するもので、その広大さについては誰も画定することができない。そこには誰も住民がいないと言ったが、他の地域から卒然とそこに到達する異邦人たちがない訳ではない。この圏域(土

    アヴィセンナ『ハイイ・イブン・ヤクザーン(覚知の息子である生命)の物語』4 : ヘルモゲネスを探して
  • 松岡正剛・平尾誠二:イメージとマネージ

  • [書評]森有正先生のこと(栃折久美子): 極東ブログ

    大人にしかわからない上質な苦みのある、美しく同時に醜悪な恋愛小説のように読んだ。五十五歳の知的な男に三十九歳の才能のある女が十年ほど恋をする物語。さりげないフレーズに当の恋愛にはこの感触があると何度も煩悶のような声が自然に喉を突く。恋愛といっても、肉体的な交わり……少なくとも肉体の哀しみと歓びは表向き描かれていない。その契機が存在してなかったようにも読める。が、この物語の質はキリスト教のいう肉、サルクスというものの、胸引き裂かれるような絶望感にある、と思う。 小説ではない。森有正という男と栃折久美子という女の現実の物語だ。私もこの物語のある重要人物を知っていたので、この物語のごく一部だが魔法のように織り込まれたような感覚を味わった。しかし森有正という男を知らない今の日人でも、大人ならこの物語の味わいがわかるのではないか。と、自分がさも大人であるかのように書くのだが、そういう大人とは大

    suna_zu
    suna_zu 2023/04/20
    有まで苗字ではない。
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