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ブックマーク / ameblo.jp/kfsrmw (2)

  • 『非知(Nichtwissen)〔ヤスパース『哲学』原典訳〕』

    高田博厚先生と友と神に ・ 形而上的アンティミスム序説 ――― 「僕の美と愛と信仰」 ――― 集合容喙(遠隔人心操作)と強制薬害の重篤な被害者です。 自分の来の魂的生を貫くため、そして 集合容喙と強制薬害の事実を証言し国に問題を解明解決させるため、 この電子欄を書いています。(パリ大学博士) 1.非知 a) 根源における転回点としての非知 単に否定的な言表としての非知はそれ自体無であろう。非知が絶対的意識の運動であるのは、まだ私が〔物事を〕知る前の私の無知の一般的自覚としてではなく、その都度対象知を揚棄することによって自覚されるような、自分で獲得した非知としてなのである。それは、知ることを試みる前の、知の空虚な否定ではなく、あらゆる規定的な現実から身を引くための断念でもない。そうではなく、〔具体的に〕知るに応じてこの知のなかで、自分を非知として見出す、そのようなその都度内実に満ちたものと

    『非知(Nichtwissen)〔ヤスパース『哲学』原典訳〕』
  • 『”419 祈りは何のために 形而上的アンティミスムの歴史的位置づけと使命”』

    祈ることを覚えたほうがよい。 魂の清浄を護るために。 それ以外のためでなく。 魂への愛のために。 此の世のすべての悪から離れているために。 なぜ自分自身の魂というこの最も大事なことのために人は祈らないのか。 その他のことのためにはあんなに必死に〈祈る〉のに。 今の世で護られている者は祈ることを知っている者と音楽を聴く生活をもつ者だけ、とマルセルは戯曲の中で書いた。彼の哲学は魂のための祈りと音楽の哲学だ。 天国において家は無である。これがキリストの神である。家と地の神に対するのがキリストの神である。イデアの神(普遍の神)が結びつけた者達が真の兄弟であり親子である。地の血縁の神と魂の神とはここで明確に対立している。魂のイデアの神は、ぼくの固有思想ではなく、歴史的に現存する神であり、これほど鋭く日人の意識のありようを問う文化は西欧キリスト(イデア)神の文化の他には無い。日はいまでもキリスト迫

    『”419 祈りは何のために 形而上的アンティミスムの歴史的位置づけと使命”』
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