タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

人文科学に関するsunagiのブックマーク (3)

  • Socius_ソキウス(トップページ)

    Socius.jp ソキウス(野村一夫)★2022年1月17日 socius.jpのコアコンテンツをソキウス・シューレに移築しました。今後はソキウス・シューレをご覧下さい。 https://www.socius.schule ★2022年1月17日 socius.jpのコアコンテンツをソキウス・シューレに移築しました。今後はソキウス・シューレをご覧下さい。 https://www.socius.schule ソキウス(Socius)は、社会学者で国学院大学経済学部教授の野村一夫による個人サイトです。私の守備範囲を中心に、これまで書いてきたものを学習用に公開しています。 Sociusは「仲間」を意味するラテン語です。フランスのオーギュスト・コントがsociusとlogosを組み合わせてsociologieという学問を構想したことから「社会学」の歴史が始まります。考え方はそれまでもあったのです

    Socius_ソキウス(トップページ)
  • なぜネットコミュニケーションは必ず失敗するのか? 上 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    『コミュニケーションは「まなざし」によって成立する ボクはネットコミュニケーションが大好きで、その可能性に期待しているが、信用はしていない。これはネットコミュニケーションを始めて、数年たち、いろいろ体験したボクの率直な感想である。 言語行為論に「コンスタティブ/パフォーマティブ」という考え方がある。たとえば母親が子供に「もう、好きにしなさい!」としかるとき、コンスタティブな意味、すなわち文章そのままの意味は「好きなようにしていい」であり、パフォーマティブな意味、その文章によって指示される意味は、「かってなことはするな」である。このようなパフォーマティブな意味=「真意」の読みとりは、それが言ったのは母親である、怒っている、などなどの、メタレベルでその場の状況(コンテクスト)が理解されて始めて、理解できるものである。 コミュニケーションは、質的には「コンスタティブな情報を伝えあうこと」と理解

    なぜネットコミュニケーションは必ず失敗するのか? 上 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 神話なき神話の時代、再び - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    コンスタティブな言語意味に回収できない(溢るる)余剰とは、たとえば、絵を見て、音楽を聴いてなど、言語で表せないわき上がる感情というような感じでしょうか。結局、それはシニフィアンに回収されるわけですが。たとえば、ペットの「ミミ」へのわき上がる「いとおしさ」という言語だけであらわしきれない感情は、「ミミ」というシニフィアンに回収されます。そして「ミミ」は、神性が捏造される、というのは、偶像化される。 このような余剰は、すべての言語に含まれているのではないだろうか。「りんご」という言語に余剰はあるか?そもそも、言語はそれだけ取り出すのは不可能であり、コンテクストとは切り離せない。すなわちすべてコミュニケーションとして現れる。私は「りんご」と言うときには、そのコミュニケーションにおいて、コンスタティブ以上の言語意味が含まれている。(シニフィアンの浮遊性) たとえば、デリダは言語行為論の反論として、

    神話なき神話の時代、再び - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 1