昨晩、久しぶりに東浩紀「郵便的不安たち#」を読み直していたら、気に掛かるフレーズがあった。 ポストモダンにおいては、人間と世界の間にはいかなる意味的なつながりも見いだせない。人間はただ無意味に生き、世界もまた無意味に動いている。探偵小説がその無意味な人間たちを描く文学として発達してきたのならば、今後のSFのひとつの方向は、逆に、その無意味な世界の構造を淡々と描く文学ということになるだろう。その文学には、科学的な知識も、未来予測も、政治問題も、ジェンダー・ポリティックスも、もしかしたら、宇宙船やサイバースペースまで登場するかもしれない。しかし、ただひとつ、人間の生きる意味だけが存在しないのだ。 ――東浩紀「探偵小説の世紀、SFの世紀」(2001)より抜粋―― それなんて伊藤計劃、という話なのだが。 「探偵小説の世紀、SFの世紀」という小論に関しては基本的にかなり疑念があるので*1、論旨自体に