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ブックマーク / hyoshiok.hatenablog.com (11)

  • 未経験プログラマがコボルコンパイラを作った話をした #compiler_study - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    コンパイラ勉強会というちょっと心をそそる勉強会があったので参加した。勉強会っぽい勉強会(ってどんなだよ)に参加するのは久々だったので、つい出来心でLTでもしようかと思った。LTすれば定員オーバーでも参加できるだろうという下心があった。 https://connpass.com/event/103976/ LTのつもりでいたら、お時間30分も頂いてしまった。困った。モダンなコンパイラのことで話すネタを持っていない。こーゆー時はLLVMのことなどをさらっと話せるようになりたい。 そこで温故知新、昔話でお茶を濁すことにした。ごめんなさい。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とかなんとか。*1 新卒で入社したDECでの最初のプロジェクトは日COBOLの開発だった。その話をネタにした。 若い人はCOBOLという言語の出で立ちなどは知らないだろうから、昔話としてはちょうどいいと思った。COBOL

    未経験プログラマがコボルコンパイラを作った話をした #compiler_study - 未来のいつか/hyoshiokの日記
  • #東京大学生物語 その1 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    9月末に60歳定年退職して、東京大学大学院情報理工学系研究科電子情報学専攻博士課程に入学した。*1 9月末より現役の東京大学生である。博士課程の大学生がどんな生活をしているのか、日記を認めることにどのような意味があるのかという疑問を持たなくもないが、定年退職後のおじさん学生の日記も多くないので自分の経験がだれかの役に立つかもしれないと思い記すことにする。 授業のことなど 9/21に入学式があって、その次の週から授業だが、自分が履修する授業は、10/1の週から開始だった。 輪講(必修)が金曜日午前中にあるので、9/28にいそいそと学校に行ったら、次週から開始ということで、いきなり空振りになってしまった。 図書館で時間を潰していたら、研究室の修士1年生のSさんが声をかけてくれたので、二人で生協堂で昼飯をいに行った。初ランチである。(緩募。ランチ友達) その足で会社に行って最終出社日の各種手

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    sunakawa
    sunakawa 2018/10/24
  • 9月末で60歳定年退職しました - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    当社の規定により満60歳で定年退職をした。長いようで短かった会社員生活も一区切りだ。自分のプログラマとしての会社員生活を振り返ってみる。無駄に長いし結論はないのでお忙しい人は飛ばして欲しい。 9月末なのでブログ界隈では退職エントリーがそこかしこに書かれると思うが、その中で自分の退職エントリーを連ねることにどれほどの意味があろうか。もちろんないのだが、それでも多くの書き手の年齢を考えると満60歳定年退職というところに若干の希少価値を見出せなくもない。 1984年に大学院修了して以来、プログラマとしてのキャリアを重ねてきた。大学時代の同期でプログラマとして就職したものは皆無だ。当時、工学部の同期はメーカーに就職するのがほとんどで、大手家電メーカー、自動車メーカー、電力会社などなど、当時の誰でも名前を知っている人気企業に就職するものが大半だった。 その中で、日ディジタルイクイップメント(DEC

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    sunakawa
    sunakawa 2018/10/03
  • プログラマ60歳定年説、FA宣言 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    タイトルは釣りです、すみません。無駄に長いのでお忙しい人は、どーぞ、飛ばしちゃってください。 自分は今年の9月で満60歳になる。60歳というと多くの日企業の御多分にもれず定年である。定年後に何をするのかしないのか、ここで簡単に記してみる。 日の伝統的な大手企業(経団連に属するような企業)では、定年などの制度がしっかり整備されているので、先輩たちがどんな暮らしをしているかおおよそのロールモデルがある。一方で自分が今所属している企業は20年ちょっと前に創業したネット系である。規模は大企業だが相対的に若い企業なのでそもそも50代の従業員がそんなにいなくて定年退職した人も数えるくらいである。 日において職業プログラマの世界では、特にフリーランスではなくて会社に所属している場合、35歳定年説というのが炎上系のネタとしてよく議論される。特にSI系の場合、多重下請け構造の中で歳をってプログラミン

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    sunakawa
    sunakawa 2018/06/22
  • 継続的インテグレーション(CI)と継続的デリバリー(CD)について知りたかったら、闘うプログラマを読め - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    継続的インテグレーション(CI - Continuous Integration)と継続的デリバリー(CD - Continuous Delivery)について知りたかったら、闘うプログラマー[新装版]を読もう。 これはWindows NTの開発物語だ。大規模基盤ソフトウェアの現場の葛藤を生々しく描いていて、ソフトウェア開発に従事しているものには必読書といっても過言ではない。 デスマーチ、ドッグフードをう、ビルド、業界人なら誰でも聞いたことがあるジャーゴン(業界用語)がちりばめられている。書によって、それらの用語を覚えた人も少なくないと思う。 「カトラー(開発の総責任者、伝説のプログラマー)は、オペレーティング・システムを開発するときは、機能を増やすより、スケジュールを短縮するべきだと考えている。最初のバージョンは、機能を減らしても、早くリリースしたほうがいい。最初は機能を最小限にして

    継続的インテグレーション(CI)と継続的デリバリー(CD)について知りたかったら、闘うプログラマを読め - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    sunakawa
    sunakawa 2016/06/26
  • リモートチームでうまくいく、倉貫義人著、読了 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    傳智之さんから送っていただいた倉貫さんの近著リモートチームでうまくいく マネジメントの?常識?を変える新しいワークスタイルを読んだ。ありがとうございました。 わたしじしんは現在在宅勤務をしているわけではないが、いろいろと倉貫さんらの試みについて聞いたり、を読んでみたりして、想像するに、新しい働き方のひとつであることは間違いないのだけど、マネジメントおよびチームメンバーには高度な専門性や自立性が要求される仕組みだと思った。 会社に行って仕事をするという「従来型」の仕事になれたものにとってリモートでの仕事の進め方には、それなりに必要なスキルがあって、チーム運営でのコツが必要かと思う。そのコツについて、書はこれでもかこれでもかと記している。 在宅勤務の人たちがチームになって働くことをリモートワークと言う。フリーランスの人がひとりで在宅勤務をするという形ではなくて、チームで働くことが特徴になる

    リモートチームでうまくいく、倉貫義人著、読了 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    sunakawa
    sunakawa 2016/01/30
  • Linuxとgitを作ったLinus - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    誰でも知っていることだけど、LinuxというOSというかカーネルはLinus Torvaldsが学生のときに趣味で作ったのがはじまりだ。それは1991年ころの話で彼が21歳の頃だ。個人の趣味で作ったものが、いつの間にかに世界中のコンピュータだけでなく、携帯や家電や様々な機械の制御に使われている。 Linus Torvalds - Wikipedia 1994年ころには、PCで動く個人向けOSとしては十分な機能を持っていた。Xもあるし、gccなどのコンパイラもあるし、GNU Emacsやbashもあるので、ちょっとしたプログラムを作るには十分な機能を持っていた。 当時、勤め先のマシンはSunのワークステーションで仕事Linuxを使う機会は全然なかったのだけど、自宅のPCSlackwareのCDを入れてみたりした。日常的に使うことはなかったけど、1998年にOracleLinux版を出し

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    sunakawa 2014/07/28
  • 「納品」をなくせばうまくいく、倉貫義人著、読了 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    「納品」をなくせばうまくいく ソフトウェア業界の“常識"を変えるビジネスモデルを倉貫さんからいただいた。ありがとうございます。早速読んだ。 倉貫さんの会社「ソニックガーデン」はいわゆるソフトウェアの受託開発の会社である。 SonicGarden 株式会社ソニックガーデン ソフトウェア受託開発というのは顧客の要望するソフトウェアを作って、それを納品するということが基的なビジネスモデルである。売上は通常、「納品」することによってたてる。納品しなければ売上がたたないという仕組みになっている。 ところが、ソニックガーデンは受託開発の会社にも関わらず、納品をしないという。意味がわからない。非常識である。そして、その非常識なビジネスモデルがどういうものかを説明したのが書になる。 1章 常識をくつがえす「納品のない受託開発」 2章 時代が「納品のない受託開発」を求めている 3章 顧客から見た「納品の

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    sunakawa 2014/06/14
  • 再利用できる画像の検索方法 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    プレゼン資料で画像を使いたい場合がある。 インターネットで検索して適当にコピペするというのは、その画像の著作権を持っている人の権利を侵害する可能性が高いので、よろしくない。 そこで、再利用可能な画像の検索方法が必要になってくる。 1) Image検索で、Search Toolsをクリック 2) Usage rightsをクリック。そのなかで権利関係で選ぶ。ライセンスでフィルターしない。再利用、変更可能。再利用可能。非商用、再利用、変更可能。非商用、再利用可能。のなかから選ぶ。 再利用可能な画像はいっぱいあるので、そこから選んで利用しよう。くれぐれも、自分が著作権を持たない、画像をぺたぺたはるのはやめよう。よく、マンガのキャラクタなどを分別なしに使っている人がいるが、おすすめできない。多くの場合は引用の範囲を超えているので、やめたほうがいい。 下記のサーチエンジンのリストも便利だ。 http

    再利用できる画像の検索方法 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
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    sunakawa 2014/04/18
  • 昔fjというインターネットの掲示板みたいなものがあった(今でもあるけど) - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    1990年代のインターネットというのは利用者も少なく閉じた世界観があって、自由というもののある種の見えない掟みたいなものがあった。あったのかもしれない。当時ネットニュースという掲示板みたいなものがあって、今で言うところの中二病をこじらせたいい歳をした大人たちが日夜あーでもないこーでもないと言い合っていた。 fjというネットニュースがあって、日々いろいろな話題が議論されていた。あなたの会社のエラい人も若い頃、そのネットニュースに書き込んでいたかもしれない。若き日の(15年前)まつもとゆきひろさんとかがいるよ。 たまたま、そのころのニュースを発見して、あまりの懐かしさにここに再掲することにする。若き日の、あの人やこの人の中二病時代の書き込みである。 編集解説はわたし。それ以外は、当時の誰か。 https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/fj.co

    昔fjというインターネットの掲示板みたいなものがあった(今でもあるけど) - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    sunakawa
    sunakawa 2014/01/16
    昔、よんだことがあるとおもう
  • 我が青春の東急東横線渋谷駅改札。 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    若い人には想像もつかないことだとは思う。おじさんの昔話だ。興味のない人はこんなどーでもいい話なんで飛ばしちゃってほしい。 あなたのお父さん、お母さんが青春だったころの話だ。 30年前(1983年ごろ)、わたしは大学院の学生だった。その年の春に東京ディズニーランドがオープンした。 当時は携帯もなかった。携帯がないころの待ち合わせと言うのをあなたは想像できるだろうか。そんなころの話だ。 飲み会を企画したとする。お店のあたりをつけ、参加者を確認し、予約をする。午後七時に店を予約したとする。現地集合でもいいのだけど、多くの場合は、最寄りの駅で集合していそいそとみんなでお店に行くというのがよくあるパターンであった。 例えば7時開始だとすると、6時45分くらいに駅で集合して、お店に行く。携帯を持っていないので、当日遅刻すると大変なことになる。時間厳守である。 7時頃渋谷に集合で店は予約していないんだけ

    我が青春の東急東横線渋谷駅改札。 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    sunakawa
    sunakawa 2013/03/17
    yoshiokaさん、おもしろすぎ!
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