ブックマーク / fox-moon.hatenablog.com (74)

  • 支えと為すは - 書痴の廻廊

    停滞からの脱出法は人それぞれだ。 なんべん書き直してみせたところで出来上がるのはつまらぬ文章、まるで実感の籠もらぬ表現。記事作製が遅々として進まぬ窮地に陥り、自己嫌悪が募ってくると、私はいっそ腰を上げ、モニタを離れて部屋の中をぐるぐる歩きまわるようにしている。 ゲーテに範を取ったやり方だ。 左様、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。 (Wikipediaより、ローマ近郊に於けるゲーテの肖像) ドイツを代表するかの文豪は、あるとき日記にこう書きつけた。曰く、「最上の考えの浮かんでくるのは、大抵散歩しているときである、表現のしかたでさえ、いい考えは歩いているとき浮かんでくる」と。 なるほど確かに直立二足歩行とは、人類だけがこれを能くする運動だ。言語をあやつる能力もまた、人間のみに許された――少なくとも、現段階の地球上では――大特権。 同じ「特別」であるのなら、どこかで繋がっていてもおかしく

    支えと為すは - 書痴の廻廊
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    suoaei 2021/06/20
  • 金さえあれば ―過去と未来を貫く悩み― - 書痴の廻廊

    暗涙にむせばずにはいられなかった。 私の手元に、『知らねばならぬ 今日の重要知識』というがある。 志賀哲郎なる人物が、昭和八年、世に著した、まあ平たく言えば百科事典だ。 法律・政治・外交・経済・国防・思想・社会運動。大別して以上七つの視点から、当時の世相を撫で切りにしてのけている。その舌鋒の鋭さは、 今日の戦争は、精神よりも武器である。優秀な武器の前には大和魂も木ッ端微塵である。爆弾三勇士の勇気を称へるのはよい。だが、優秀な武器があったなら、彼の勇士をむざむざ犠牲にせずに済んだらう。(718頁) この一文からでも十二分に察せよう。 著者の業は法学士という。 なるほど実にそれらしい、渇いた理性の積み重ねによる判断である。 この種の手合いの書きもの(・・・・)は、端的にいって快い。1300ページ超のぶ厚さが、しかしまったく苦にならず、最後まで至大の興味を持続したまま読み切れた。 で、気付い

    金さえあれば ―過去と未来を貫く悩み― - 書痴の廻廊
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    suoaei 2021/06/18
  • 畦畔道話 - 書痴の廻廊

    大正十二年十月七日、『東京朝日』の夕刊に、こんな記事が載せられた。 甲州御嶽の神官、発狂。刀を抜いて滅多矢鱈に振り回し、流血の惨事を具現せり。 その動機に関しては、べつに秘密の儀式に失敗し、よくないモノに取り憑かれたとか、そういう神秘的要素は一切含まぬ。 ただ単純に、一ヶ月前日を襲った未曾有の災禍、関東大震災の影響で、今年の納入金が見込めなくなっただけのこと。 よりにもよって、神に仕える人間が。 混じりっ気のない物欲そのもの、俗心100%の理由によって。 その精神を千々に砕かれ、かかる自爆的凶行に及んだのである。 末世としかいいようがない。 我が故郷ながら山梨県には、どうもこういう宗教上の汚点が多い印象だ。 上九一色村のサティアン群は言うに及ばず、丸山照雄を生み出したのもなかなかひどい。 身延山宝聚院麓坊第46世住職の身でありながら、同時に強烈なアカのシンパだった人物で、公害企業の経営陣

    畦畔道話 - 書痴の廻廊
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    suoaei 2021/06/16
  • 夢路紀行抄 ―粉々に― - 書痴の廻廊

    夢を見た。 砕け散った夢である。 まず、私の身長が一気に15㎝以上も伸びて、196㎝になっていた。 後から思い合わせると、この数字の出どころはサントリーの缶チューハイに屡々プリントされている「-196℃」とみて相違ない。 常日頃、何に興味を惹かれているか、透けて見えようというものだ。 が、最中に在ってはそんな考えは微塵も浮かばず。 座布団を枕に寝転んで、測定結果の書かれた紙を仰ぎつつ、至って無邪気に喜んでいた。 すると頭上からコツコツと、控えめなノックの音が聞こえる。 見れば愛想笑いを張り付けた押し売りの顔が、窓の向こうに浮いていた。 家の外壁をよじ登り、遥々ここまで来たらしい。 努力に免じ、中へ招じ入れてやる。彼はさっそく鞄を下ろし、商品の陳列をしはじめた。 とんでもなく時代遅れなパッケージデザインの粉せっけんとか、2リットルサイズの漂白剤とか、とにかくそういう水回りの清掃用品が多かった

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    suoaei 2021/06/14
  • 釣り銭小話 ―ボリビア国の紙幣事情― - 書痴の廻廊

    五千円の買い物をして、一万円札で支払った。 釣りの五千円を貰わねばならない。 小学生でも即答可能な道理であろう。 ところが店員の態度は奇妙で、こちらの出した万札を二つ折りにし、 二度三度と折り目をなぞってばかりいる。 (こいつ、何のまじないだ) 催促の意を籠め、怪訝な眼差しを向けてはみたが、効果はぜんぜん皆無であった。 遮眼帯を装備された馬のようにひたすらに、店員は自己の作業に没頭している。 (或いはそのふり(・・)をして) 余所者のおれを心中密かに嘲弄しているのでは――と、黒い考えが鎌首を擡げた、その刹那。 びりびりと、乾いた音が店員の手元から響きはじめた。 紙を破る音に似ていた。 否、「似ている」ではない、そのものである。 両端にかけられた力に従い、万札が、折り目を境に真っ二つに引き裂かれつつあったのだ。 ――おいっ。 と、一声上げて制止するべきだったろう。 が、店員の動きはあまりに素

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    suoaei 2021/06/12
  • 猫に魚を喰わせるな ―100年前のメキシコシティ― - 書痴の廻廊

    メキシコシティを「巨大な長野」と形容した日人が嘗て居た。 彼の名前は野田良治。 錚々たる経歴の持ち主である。 明治八年、丹波何鹿(いかるが)郡という、地元住民でもなくばまず読み解けない中丹地方の一角に於いて生を享け、長じてからは東京専門学校に入学。早稲田大学の前身に当たる同所を卒えると、今度は外務省に歩みを進め、めまぐるしい海外勤務の荒波へと漕ぎ出した。 最初はメキシコ合衆国から。明治三十一年以降、外務書記生として三ヵ年の経験を積み、 次いでペルーはリマ市に於いて、名誉領事の任につくことおよそ十年、 更に三ヶ月程度の短期といえど、チリ公使館にて二等通訳官を務め上げ、 いよいよブラジル大使館に移ってからは、最も長く、二十五年を此処で過ごして、昭和十年、ちょうど齢六十を目処に退官している。 「外務省きっての南米通」と称されるのも納得だろう。 で、そんな野田良治の炯眼に、メキシコシティはどう映

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    suoaei 2021/06/10
  • オカイコサマ物語り ―蚕を狙う病魔について― - 書痴の廻廊

    日に日に気温が高くなる。 それに合わせて、湿度も上昇傾向だ。部屋の各所に置いてある湿気取りに水が溜まるスピードが、あからさまに増している。季節はしっかり回転しつつあるらしい。 この時分、厭なものは何といってもカビだろう。見た目も不快な黒カビが、ちょっと気を抜くとすぐに勢力を拡大しやがる。浴槽どころか冷蔵庫の中まで侵し、そしてすべてを台無しにするのだ。 カビには私の御先祖様も、ずいぶん手古摺らされたとか。 養蚕をやっていたからである。 (Wikipediaより、養蚕をする香淳皇后) 蚕の病気は、多く多湿の場合に起こる。 白彊病など、まさしくその好個たるべき例だろう。 なんといっても、ある種のカビが病原体だ。この病で斃れた蚕は腐敗せずに硬直し、やがていちめん白い粉に覆われる。更に突っ込んだ説明は、例の青木信一農学博士の著書に詳しい。 …この白粉は、寄生菌の胞子で、これが飛散して蚕體につくと、発

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    suoaei 2021/06/08
  • 玉も黄金も ―歌の背景・乃木希典篇― - 書痴の廻廊

    明治二十九年は、台湾総督府を取り巻く御用商人どもにとり、「冬の時代」の幕開けだった。 乃木希典がトップの椅子に座ったからだ。 その報が新聞を通して伝えられるや、彼の邸の門前に、たちどころに大名行列が形成された。 (Wikipediaより、台湾総督府) つい昨日まで名前も顔も一向存ぜぬ、何の縁(えにし)もなかったはずの連中が、突如として乃木の人事を「栄転」として我がことのように喜び讃え、「御見舞」または「御祝い」の品を担ぎこんで来たのである。 反物、菓子折、書画、骨董――素人目にも高価とわかる「捧げもの」の数々は、しかし畢竟、鯛を釣るための海老に過ぎない。 もしも乃木の愛顧を得、総督府の利権にうまく喰いつけたのならば、引き出せる利福はいったいいくら(・・・)か。想像するだに気が遠くなる、圧倒的なきらびやかさであったろう。先祖伝来の茶碗だろうが掛け軸だろうが、什器蔵から引っ張り出して貢いで悔い

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    suoaei 2021/06/06
  • 文豪ふたり ―静寂を貴ぶ男たち― - 書痴の廻廊

    カーライルは神経過敏な男であった。 とりわけ「音」への感覚は一種特別なものがあり、その繊細さは時として、殻を剥かれたエビにすら擬えられたほどである。時計のチクタク音にキレ、遠くの犬の鳴き声に集中力を掻き乱されて、逆上のあまり二重壁の部屋をつくって引き籠ってみたものの、やはり満足には程遠い。 「いっそ、アフリカの砂漠にでも移りたい。それが叶わないのなら、せめて大海に船を浮かべてそこで思索に耽りたい」 日ごと癇癪を起しては夫人に向かってこんなことを言い散らし、彼女を大いにてこずらせたということだ。 (Wikipediaより、トマス・カーライル) ダーウィンもまた、被害に遭った一人であった。 スペンサー邸でこの両名が対面した際、何を思ったかカーライルは滔々三時間に亘り、喧騒の有害と沈黙の利益について思うところをまくし立て、ダーウィンをしてほとんど座にいたたまれぬほど困憊させた。 ダーウィンは後に

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    suoaei 2021/06/04
  • ラムネ漫談 ―できたて一本二銭なり― - 書痴の廻廊

    ラムネはいったい何故に美味いか。 秘訣は瓶にこそ根ざす。 初っ端から栓を抜かれて、グラスに注がれ運ばれてくるラムネなんぞはまったく無価値だ。あれほど馬鹿げた飲み物はない。せめて空き瓶を傍らに置き、視界に収めながらでなくば――。 なかなか変態的な物言いである。 こんなことを公共の場で力強く主張したのは、徳川夢声なる男。わが国マルチタレントの元祖たるべき存在で、「徳川」の二文字を冠するものの、権現様――旧将軍家の血筋とは、べつに何の繋がりもない。 (Wikipediaより、徳川夢声) 「あの形を見ろ、あの上半身の凸凹を」 更にヒートアップして、夢声によるラムネ談議は続行される。 口から段々太くなって下った所に、指で押したやうな軟かい窪みが、三ヶ所か四ヶ所、ぐるりと取巻いてゐて、その膨らみ切った直ぐ下に、左右から丸い棒で押しつけたやうな凹みがついてゐる。それから下は普通の円筒だが、これがまたどっ

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    suoaei 2021/06/02
  • 昭和初頭の日葡関係 ―ポートワインを中心に― - 書痴の廻廊

    語り手が笠間杲雄でなかったら、きっと私は信じなかった。 彼がポルトガル公使をやっていたころ、すなわち昭和十年前後。 日葡間の関係はしかし、ワインの銘柄ひとつをめぐって寒風骨刺すツンドラ地帯の陽気並みに冷え込みきっていたなどと――鵜呑みにするには、あまりに話が面白すぎるではないか。 肝心要のその銘柄は、もちろんポートワインであった。 (Wikipediaより、ポートワイン) 「ポルトガルの宝石」の聴こえも高いこの酒自体に関しては、笠間の説明はあっさりしていて、 葡萄酒であるが、むしろリキュールに近い強い酒で、世界でポルトガルの特産品になってゐる。 オポルトといふ此国の名港の周囲数百キロに特殊の種の葡萄を植ゑて、数百日の日光の直射を受けて見事な実が成る。出来た酒は酒蔵に置く事十五年にして初めて飲めるといふ高級の品が真正のポートワインである。(昭和十六年発行『甘味』4~5頁) 最低限、要点のみを

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    suoaei 2021/05/31
  • 「無敵の人」を如何にせむ ―情けは人の為ならず― - 書痴の廻廊

    明治から大正へ、元号が移り替わらんとしていた時分。 東京市の一角で、菓子商人が殺された。 犯人は、被害者の店の元職工。戦後恐慌――日露戦争で賠償金が取れなかったことに起因する、所謂明治四十年恐慌――の煽りを喰っての業績悪化に対処するため切られた首の一つであって、彼の働きそれ自体には、さほど問題もなかったらしい。 (Wikipediaより、ポーツマス会議) 暫く巷を彷徨したが、なにぶん地を這うような不景気の最中、再就職の糸口に、そう易々とありつけようはずもなく。 いたずらに時間ばかりがただ流れ、生活はどんどん窮乏してゆく。なけなしの貯蓄も底を払った。もう限界だ、これ以上はとても耐えられそうにない。最後の望みは、やはり長年勤務した、嘗ての職場こそだった。 元雇い主、すなわち件の菓子商人に面会を請い、幸いそれは許される。席に着くなり、自分が如何に追い詰められて苦しみ喘ぎ悩んでいるか、彼は赤裸々に

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    suoaei 2021/05/29
  • 夢路紀行抄 ―蘇生の代価― - 書痴の廻廊

    夢を見た。 噛み殺される夢である。 ここのところ、南洋関連の書籍を好んで読み漁った影響だろう。蛮煙瘴雨の人外境が、ものの見事に昨夜の夢寐に再現された。 私はそこで、何かしらの調査事業に携わっていたらしい。 半球型のコテージまで建て、拠点とし、またずいぶんと力を入れていたようだ。 中で準備を整えた。 バックパックに機材を詰め込み、つば広帽を目深に被って外に出る。 河があり、モーターボートが係留されて揺れていた。 乗り込んで、手元のボタンを押し込むと運転手がやって来る。 かなり年嵩の男であった。 鼻梁が常人の三倍は高く、無毛の頭部とも相俟って、その風体はこれ以上なく独特であり、当分忘れられそうにない。 彼は一言も発することなく、こちらに視線を向けもせず、ただ黙然と席に着く。 エンジンがかかって、船は上流に進みはじめた。 水は泥で濁りきり、底の様子を窺うなど思いもよらない。岸辺にはときどき火が揺

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    suoaei 2021/05/27
  • 南溟の悲愴 ―オランダ人の執拗さ― - 書痴の廻廊

    彼の運命は哀れをとどめた。 ボルネオ島バンジャルマシンでビリヤード店を経営していた日人の青年で、西荻(にしおぎ)という、かなり珍しい姓を持つ。 下の名前はわからない。 いつもの通り、「某」の文字で代用しよう。 さて、この西荻青年の店の扉を。 大正四年の春の暮れ、四人の客が押し開けた。 (Wikipediaより、バンジャルマシン) 何れも同地駐屯のオランダ軍の下士官で、筋骨の逞しさは言うまでもない。彼らはときに歓声を上げ、ときに舌を激しく鳴らし、球の行方にいちいち一喜一憂し、芯からゲームを楽しみ尽くした。 そこまではいい。ここはパリでもロンドンでもない、赤道直下の未開地だ。文明国とは自ずからマナーも異なろう。そのあたりの呼吸については西荻青年も十分呑み込み、口やかましく咎め立てたりなどしない。 が、しかし、だからといって。 「お待ちください、お客様」 越えてはならない一線というのは存在する

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    suoaei 2021/05/25
  • 瞑想と演説 ―最初の五分の使い方― - 書痴の廻廊

    何につけても出だし(・・・)というのは重要だ。 演説の妙技は開幕直後の五分間にこそ尽される。 「私はお話をする前に、禅宗の法として五分間静坐を致します」 釈宗演という僧の、これが決まり文句であった。 (Wikipediaより、釈宗演) 冷静に考えればなんと横柄な註文だろう、客を馬鹿にするにもほどがある。そんな準備は登壇前に舞台裏で済ませておけというものだ。なにも態々、話聴きたさにやって来ている人間集団の目の前で、瞑想を実演(や)る必要はない――。 ところがいざ宗演が目蓋を下ろすと、そうした諸々の不満一切、喉の奥で行き場を失い、腹の底へとトンボ返りをした果てに、湯を注がれた海苔の如くほろほろと、他愛もなく解きほぐされる破目になる。 ――まるで、一個の仏像に化身(なら)れたような。 そんな錯覚を惹き起こさずにはいられないほど、宗演の瞑想は練熟していた。 みごとに自我が溶けだして、天地万物一切と

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    suoaei 2021/05/21
  • 伝馬船にて特攻を ―人はどこまで闘える― - 書痴の廻廊

    薩摩隼人はおかしいと、闘争心の権化だと、命の捨て処を弁えすぎだと、近年屡々聞くところである。 勇猛、精悍、剛毅、壮烈――そんな月並みな表現をいくら陳列してみせたところでまるで空しい。 彼らの狂気はあまりに度を越し過ぎていて、言語さえもぶっちぎってしまったような印象だ。 薩人の薩人たる所以。 目蓋を閉じてもなお瞳を灼く名状し難い巨大な熱の塊は、文久三年七月の、薩英戦争の渦中にあっても当然の如く発揚されて、歴史に確かな焦げ目をつけた。 その一つを取り上げてみる。 世に云うところの「波間に浮かぶ大砲」だ。 (平野耕太『ドリフターズ』より、薩人マシーン島津豊久) 薩英戦争。 生麦事件に端を発するこの戦(いくさ)には、やがて「沈黙の提督」の異名を受ける東郷平八郎その人も、年若の身で参加していた。町田民部の手に属し、初め二ノ丸を固め、戦局の推移に伴って北西に転戦したという。任務は専ら、警護の役を仰せつ

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    suoaei 2021/05/17
  • 猛り狂わす瞋恚の炎 ―秀吉による「女敵討ち」― - 書痴の廻廊

    豊臣秀吉の漁色癖に関しては、敢えて喋々するまでもなく、周知の事実であるだろう。 彼はまったく、女を好んだ。 この傾向は晩年に入ってもなお熄まず、どころかいよいよ拍車がかかり、もはや「好む」の範囲を飛び越え「女狂い」の観さえ呈す。願寺上人の未亡人に懸想して後継問題をややこしくしたとか、指が動けば家臣のでも見境なしに手を伸ばし、それだからこそガラシャ夫人は拝謁の席で態と懐刀を畳に落とし、覚悟のほどを示したのだとか、風説を挙げればキリがない。 が、一つ確かなことがある。 秀吉は自己の乱行には寛大でも、他者が自分に対して犯す不義密通には酷烈で、ときに鬼神も怯えるほどの罰を下して憚らなかったということだ。 格好の逸話が『時慶卿記』に載っている。 八十七歳という、当時にしては驚くべき長寿を保ち、織田・豊臣・徳川と、激動する世の移り変わりを目の当たりにした時代人。西洞院家二十六代当主、西洞院時慶に

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    suoaei 2021/05/14
  • 立憲君主の理想形 ―エドワード七世陛下の威徳― - 書痴の廻廊

    昭和五年発行、鶴見祐輔著、『自由人の旅日記』。 ここ数日来、いろいろとネタにさせていただいている古書である。 総ページ数、520頁。なかなかの厚さといっていい。読み応え十分な一冊だった。 (鶴見祐輔、シカゴ、ミシガン湖畔にて) 就中、もっとも深く感銘を受けた箇所はどこかと訊かれれば、私は即座に、 人間の心を見抜く特別の力をそなへられたエドワード七世は、貧民窟を訪問するときにも、立派な装束をしてゆかれた。貴き王者が、貧しき人の上を忘れない、といふことを、彼等に知らすためである。貧民がいかにも王様らしいお姿を見て、随喜の涙を流した。彼等は王者は王者らしく、貴族は貴族らしかれと冀(こひねが)ふ。倫敦児の皇室に対する愛着心も、この心情から湧いてくる。(208頁) 英国王の威徳に触れた、この部分こそと答えよう。 掛け値なしに胴が慄えた。 そうだ、そうとも、これでこそと思わず叫んだものである。 私はよ

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    suoaei 2021/05/10
  • 跳躍するアングロサクソン ―真の闘争の血液を― - 書痴の廻廊

    世界大戦中の話だ。 アメリカのとある工場が、深刻な人手不足に陥った。 そこは軍にとって極めて大事な、有り体に言えば軍需工場の一つであって、機能不全を来すなど、到底認められる事態ではない。大至急、穴を埋めねばならなかった。必要とされる人的資源は、最低でも二千人――。 多すぎやしないか、急にできる規模の穴じゃないだろう、桁を間違えているんじゃないか――そう言いたくなる気持ちは分かる。が、こういう類の無理・無茶・無謀が平気の平左で頻発するのが総力戦の恐ろしさ。国家の有する力の限りを戦争遂行に叩き込む、超狂気の具現であった。 当時に於いては機械化もまだまだ中途であって、手作業に頼らざるを得ない範囲が大きかった所為でもあろう。 (海軍工廠に於けるヘリウムガスの製造所) まあいい。そのあたりの詮索をするのが意ではない。 当局者はまず、工場所在地一帯に対し募集をかけた。 が、目もあてられない大失敗に終

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    suoaei 2021/05/08
  • 空の英雄、沸く地上 ―昭和二年のアメリカ紀行― - 書痴の廻廊

    昭和二年、鶴見祐輔はアメリカにいた。 都合何度目の渡米であろう。 この段階で既にもう、鶴見の海外渡航回数は二十に迫る勢だった。それは確かだ。 が、その旅程のことごとくに「アメリカ」が含まれていたわけではない。欧州の天地に限局された場合もあれば、まるきり別な方向の南溟一帯を渡り歩いたこともある。 正確な数字はわからない。 はっきり断言できるのは、「初訪問時」のことである。明治四十四年九月、新渡戸稲造の秘書として、カーネギー平和財団の招聘に随行したのが鶴見にとって生涯初の、アメリカの土に足を下ろした瞬間だった。 (Wikipediaより、新渡戸稲造) それから、早や十六年。 鶴見もすっかり旅慣れた。遠い異境の地だろうと、四方三里のいずこにも日語が飛び交っていなくとも、もはや欠片も動揺しない。縮こまることなく、かといって過剰に胸を張るでもなしに、自然と雑踏に混ざってゆける。 折りしも当時合衆国

    空の英雄、沸く地上 ―昭和二年のアメリカ紀行― - 書痴の廻廊
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    suoaei 2021/05/06