ブックマーク / karibaryokouki.hatenablog.com (95)

  • 和気神社 - カリバ旅行記

    昨日一晩世話になった妙見温泉の田島館で、タクシーを呼んでもらい、タクシーに乗って和気神社へ 和気神社の駐車場でおろしてもらいました。 何やら派手な五角形の大きなものが見えてますが 「日一の大絵馬」なんだそうです。 朝日が照らしてちょっと見にくいのですが、和気神社の御祭神である和気清麻呂と、清麻呂公を乗せて導いたというイノシシの絵ですね 奈良時代の769年、称徳天皇の御代、皇室に取り入った僧・道鏡の陰謀により、宇佐神宮から「道鏡を次の皇位につけよ」と神宣が出たとされて朝廷は大騒ぎになりました。しかし和気清麻呂を勅使として宇佐神宮に派遣したところ、この神宣は偽物と判明します。 道鏡の怒りを買った清麻呂は「穢麻呂(きたなまろ)」と改名させられて大隅の国に流罪となるが、翌年称徳天皇が崩御し道鏡が失脚、穢麻呂は清麻呂に戻って京に帰り政界復帰した、というのが教科書に出てくる歴史の流れですね。 その

    和気神社 - カリバ旅行記
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    suoaei 2021/11/08
  • 妙見温泉 田島本館 後編 - カリバ旅行記

    鹿児島県霧島市、妙見温泉温泉旅館、田島館に泊まっています。 今は真夜中、日付が変わった0時ごろ。 湯に入りに来てみました。 中に入ります。 脱衣室 昼間は日帰り客で混んでいた浴室でしたが、さすがにこの時間、誰もいません 中に入ります。 浴槽が二つ 小さいほうは水風呂でした。 浴室の隅にはシャワーが一つだけありました。 身体洗ってから 浴槽へ、どぶんと入ります。 うん、いい湯です。 ここも鉄分を含んでいるようで、赤さびっぽいにおいがしてます。 ゆっくりと入っていました。 夜通し入れる温泉宿って、いいな~~ 脱衣室にはドライヤーが一つだけありました。 洗面台はありません。 で、部屋に戻ると、すぐに寝てしまいました。 翌朝、起きたのは5時ごろ。 また湯に入ってきました。 部屋から見る早朝の天降川 8時、朝の時間です。 昨日夕をいただいた堂に降りていきました。 朝 おなか一杯いただきま

    妙見温泉 田島本館 後編 - カリバ旅行記
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    suoaei 2021/11/07
  • 妙見温泉 田島本館 前編 - カリバ旅行記

    妙見温泉温泉旅館、田島館 明治時代に創業した老舗だそうです。 中に入り、チェックイン。 部屋に通されました。 カーテンはなく、部屋に夕日が照っています。 窓から見る光景 浴衣とタオル・バスタオル、歯ブラシとソープ・シャンプー 浴室に備え付けのソープ・シャンプーはないそうです。 用意してあるのはこれだけなので、何度も温泉に入りたい方は持参してきたほうがいいでしょう。 こちら、廊下側 なぜか廊下側にもすりガラスの窓が付いています。 勿論カギはかかりますが、そのカギが昔あった、ピンをくるくる回してねじ込むやつ。 今も使われているんだ・・・お若い方はこんなの見たことないでしょうね・・・ ちょっと防犯上、不安は残る・・・ 部屋で一息ついてから、浴室のほうへ いったん屋外に出たところの浴室 中は少々混雑していました。外来の入浴客のようです。 なので、そこには入らず この細い階段を下りた先 宿泊者専

    妙見温泉 田島本館 前編 - カリバ旅行記
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    suoaei 2021/11/07
  • 熊襲の穴 前編 - カリバ旅行記

    鹿児島県隼人町の妙見温泉に来ています。 温泉街の中にある「洞窟 熊襲隼人 史跡 日武尊」の看板。ここを目指してはるばる8時間かけて福岡から鈍行列車でやってきました。 ここは「熊襲の穴」と言われています。 熊襲とは古代、南九州に住んでいたといわれる民族です。大和朝廷の支配に従わず、そのため第12代景行天皇は皇子オウス(小碓命)を討伐のために派遣します。 駐車場まで登ってきました。 白熱灯がいい味出しています。 石段を登り、熊襲の穴を目指していきます。 熊襲を討伐したオウスは、熊襲の首領から「まさか大和の国にこんな強いものがいるとは思わなかった。これからはヤマトタケル(倭建命・日武尊)と名乗れよ!」と言われました。 熊襲の首領を殺したオウスはヤマトタケルと改名し、その後は東国の蝦夷討伐に赴きます。 この石段の上にある「熊襲の穴」は、ヤマトタケルに殺された熊襲の首領が住んでいたという洞窟だそ

    熊襲の穴 前編 - カリバ旅行記
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    suoaei 2021/11/04
  • 鹿児島交通 国分駅~妙見温泉 - カリバ旅行記

    朝から鈍行列車を乗り継いで延々8時間、国分駅までやってきました。 国分駅前のバス乗り場 そこに入ってきた鹿児島交通のバス 13時48分発、妙見温泉経由の霧島いわさきホテル行き。2分ほど遅れて入ってきました。 乗り込みます しばらく市街地を走り 踏切を渡って進んでいきます。 ようこそ隼人へ 天降川(あもりがわ)に沿って山の中に入っていきます。 国分駅から約20分、妙見温泉につきました。 ここで降ります。 妙見温泉停留所 バス停を下りたところにあるのが温泉旅館の「妙見温泉ねむ」 妙見温泉は天降川と中津川の合流部に温泉街が広がります。 道路を上流のほうに向かって歩いていきます。 ここも温泉宿の「きらく温泉」 共同の炊事場を供えた素泊まりの宿で、湯治客の利用が多いそうです。 川の向こうに見える発電所 なんか石造りの古そうな建物です。 さらに歩いていきますと 見えてきました 「洞窟 熊襲隼人 史跡 

    鹿児島交通 国分駅~妙見温泉 - カリバ旅行記
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    suoaei 2021/11/02
  • 鹿児島本線2445M・日豊本線6940M 川内~鹿児島中央~国分 - カリバ旅行記

    福岡を始発で出て鈍行列車を乗り継ぎ、川内(せんだい)までやってきました。 ここからはJR九州となります。 11時27分発、鹿児島中央行き鈍行列車。JR九州817系電車の2両編成。 新幹線開業にあたり、博多~八代間と川内~鹿児島間はJR九州のまま残されました。乗客の少ない熊・鹿児島県境付近だけを地元に押し付けたような格好です。 転換クロスシートの車内 定刻に列車は発車しました。 駅名標もJR九州のものに変わりました。 と、このあたりでうとうとしてきて 気が付けば鹿児島市内に入っていました。 指宿枕崎線が近づいてきて合流します。 終点、鹿児島中央着、12時16分。 ここで向かいのホームに停まっていた電車に乗り換えます。 12時25分発、国分行き鈍行列車。 3扉転換クロスシートの車内 定刻に発車し、鹿児島市内を走り、城山トンネルを抜けると 鹿児島駅 ここまでが鹿児島線です。ここから先日豊

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    suoaei 2021/11/02
  • 肥薩おれんじ鉄道6329D 出水~川内 令和3年10月 - カリバ旅行記

    福岡を始発で出て鈍行列車を乗り継ぎ、肥薩おれんじ鉄道の出水駅まできました。 出水は鶴の飛来地として知られています。 鶴の彫刻が出迎えてくれます。 ホーム右側に停まる2両編成は新八代から乗ってきた列車。 ホーム向かいに停まっていた単行の気動車に乗り換えます。10時19分発の川内(せんだい)行き鈍行列車。 そして今度は東シナ海が見えてきました。 牛ノ浜駅 列車は東シナ海に沿って走ります。 この海の先はその名の通りシナの国。文明発祥の地であり、古代より日文化も多大な影響を受けてきました。 ぼくがブログ内で彼の国のことを「シナ」と書くと「差別語だ!」と言ってくるものが時々いるのですが・・・ この海の名は「東シナ海」と公称されて地図にもこの名で載っていることからも、差別語でも何でもないことがわかります。 西方駅 そのうち列車は東シナ海を離れ 終点の川内に近づきます。 川内駅の構内にはコンテナが積

    肥薩おれんじ鉄道6329D 出水~川内 令和3年10月 - カリバ旅行記
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    suoaei 2021/10/31
  • 肥薩おれんじ鉄道6227D 新八代~出水 令和3年10月 - カリバ旅行記

    令和3年の10月終わりごろ、始発で福岡をたって、新八代駅までやってきました。 大牟田から乗ってきた列車、JR九州821系電車。 しかしこの馬鹿みたいにキラキラした外観、ほんとに好きになれない。室内もロングシートで、窓も高く展望もよくない。 あ~あ、これからこんな車両が増えてくるのかな・・・ 降りたホームにあとから入ってきた2両編成の気動車。肥薩おれんじ鉄道の車両です。 新八代駅を8時46分に発車し、八代から肥薩おれんじ鉄道に直通し出水まで行きます。 2両編成の前の車両 暖色系のセミクロスシート 後の車両 こちらは同じセミクロスシートですが寒色系です。この車両の海側のボックス席に座ります。 定刻に新八代駅を発車し 新八代からひと駅、八代着。肥薩おれんじ鉄道のホームに停まります。ここからは肥薩おれんじ鉄道線です。 ぼくはJRにも肥薩おれんじ鉄道にも乗れる「旅名人の九州満喫きっぷ」を所持していま

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    suoaei 2021/10/30
  • 由布院温泉 下ん湯 - カリバ旅行記

    由布院温泉と久大線代行バス 1 / 青春18令和3年夏紀行 4日目 今日は令和3年9月初め、大分から久大線の鈍行列車に乗って由布院駅までやってきました。 由布院駅から金鱗湖に向かって歩いていきます。 金鱗湖のほとりにある由布院温泉の共同浴場「下ん湯」 ここは混浴の共同浴場となっています。 茅葺屋根の風情ある建物です。 入浴料金は200円。管理人は常駐しておりません。 100円玉二枚を入れて、中に入ります。 中に入ります。 入浴客は他にはいませんでしたが、この先、写真の撮影ができません。 建物の三方は壁ですが、金鱗湖に向いた側は壁がなく吹き曝しになっています。 石造りの床に浴槽がふたつ、縦に並んでいます。手前の浴槽は建物の中に納まっていますが、奥の浴槽は半分屋外に張り出しています。 入口から入って左右にはすのこが敷いてあり、棚が置いてあって、ここが脱衣スペースのようです。男女の区別はなく

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    suoaei 2021/09/29
  • 屏風岩・因佐神社 - カリバ旅行記

    国引き神話の地を訪ねて 8 日御碕からバスに乗って、稲佐浜まで戻ってきました。 バスを降りたところに大きな木製のレリーフ 稲佐浜はオオクニヌシとタケミカヅチが国譲りの交渉をした地として知られています。その交渉の様子でしょうか。 この先の屏風岩は、その交渉がなされた所なんだそうです。 高天原からの全権大使であるタケミカヅチは、稲佐浜に剣を逆さに突き刺し、その鋒先にあぐらをかいて、お前が統治している国は来アマテラス大御神のものだ、と迫ったそうです。 オオクニヌシは壮大な神殿を建ててそこに自分を祀ることを条件に日の国をアマテラスに譲渡することになりました。 この交換条件として建てられたのが出雲大社です。 屏風岩 はて、「古事記より引用」とあるが、古事記にこんな話あったっけ? 特にオオクニヌシの返事の言葉・・・ 古事記ではタケミカヅチに対するオオクニヌシの答えは 「わたしには何も言えません。わ

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    suoaei 2021/09/12
  • 日御碕神社 神の宮 - カリバ旅行記

    国引き神話の地を訪ねて 7 島根半島の西端、日御碕にある日御碕神社に来ています。 まずはアマテラスを祀る日沉宮(ひしずみのみや)に参詣してきました。 そしてこの石段を上るとスサノオを祀る「神の宮」です。 ヤマタノオロチを退治しクシナダヒメを嫁に迎え、出雲の国の支配者となったスサノオ。スサノオはその後、根の国に隠居しました。 スサノオは根の国より「我が神魂はこの柏葉の止まるところに住まん」と、柏の葉を投げて占ったところ、この近くの「隠ヶ丘」に止まったということです。 その後、安寧天皇13年に現在の日御碕神社神の宮に遷座されたそうです。 安寧天皇は第3代の天皇で実在しないといわれています。 安寧天皇13年は西暦でいうと紀元前536年。もちろんこの数字に信憑性はありませんが、それほど古い時代ということなのでしょう。 拝殿。手を合わせます。 スサノオが鎮座される殿。 日御碕神社の現在の社殿は江戸

    日御碕神社 神の宮 - カリバ旅行記
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    suoaei 2021/09/10
  • 日御碕神社 日沉宮 - カリバ旅行記

    国引き神話の地を訪ねて 6 島根半島の西端、日御碕神社に来ています。 日御碕に鎮座される日御碕神社 ご祭神はアマテラスとスサノオの姉弟。 境内の「日沉宮」(ひしずみのみや)にアマテラスが、「神の宮」にスサノオが祀られています。 鳥居をくぐると大きなレリーフがありました。 わかめの豊漁を祈る「和布刈(めかり)神事」のレリーフだそうです。 手水舎と神門 神門の両脇では木製の狛犬が守っていました。 神門の奥へ 神門通って右側にある末社「門客人社」、なと読むのだろう?「かどのまろうどのやしろ」とでも読むのかな? ご祭神は櫛磐間戸神 左側の末社「門客人社」、ご祭神は豊磐間戸神 クシイワマドとトヨイワマドは神社の門を守る神様です。 正面の「日沉宮」(ひしずみのみや) 重要文化財の拝殿で手を合わせます。現在の社殿は江戸時代初期の寛永20年(1643年)に竣工したものだそうです。 日沉宮のご祭神はアマテラ

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    suoaei 2021/09/10
  • 隠ヶ丘 - カリバ旅行記

    国引き神話の地を訪ねて 5 島根半島の西端、日御碕(ひのみさき)に来ています 隠ヶ丘の入口 ヤマタノオロチを退治しクシナダヒメを嫁に迎え、出雲の国の支配者となったスサノオ。スサノオはその後、根の国に隠居しました。 スサノオは根の国より「我が神魂はこの柏葉の止まるところに住まん」と、柏の葉を投げて占ったところ、この「隠ヶ丘」に止まったということです。 そしてアメノフキネがこの地にスサノオを祀ったということですね。 案内板には「御子」とありましたが、アメノフキネ(天之葺根神)は日書紀に別伝として収録してある「一書(あるふみ)」にスサノオの5代目の子孫として登場します。ヤマタノオロチの尾から出た草薙剣をアマテラスに届けたのがアメノフキネということになっています。 古事記ではアメノフユキヌ(天之冬衣神)の名で出てきます。これもスサノオから5代目の子孫でオオクニヌシの父ということになっています。

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    suoaei 2021/09/08
  • 日御碕 後編 - カリバ旅行記

    国引き神話の地を訪ねて 4 ふたたび日御碕灯台の下まで戻ってきました。 右に行けばさっき行った出雲松島。左に行けば鳥見台・夕日展望台。 左のほうに進んでいきます。 遊歩道を歩いていきます そして、遊歩道をしばらく行くと 展望台がありました 「ひのみさき夕日展望台」だそうです。 ここから見る、日海に沈む夕日は絶景だそうです。 ただし今はまだ午前9時を少し回ったくらい、夕日を見るにはあと8時間くらい待たなくてはなりません。 そんなに待てないので、先に進みます。 柱状節理と呼ばれる岩石 路が二股に分かれ、右に行けば「鳥見台」です。行って見ます。 遊歩道はここで行き止まりとなり 展望台から見えるのは経島(ふみしま) ウミネコの繁殖地なんだそうです。 ちなみにこの経島、これから行く日御碕神社の「日沉宮」(ひしずみのみや)の元宮があった場所なんだそうです。 島の上には鳥居と小さなお社が建っているのが

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    suoaei 2021/09/07
  • 日御碕 前編 - カリバ旅行記

    国引き神話の地を訪ねて 3 島根半島の西端、日御碕(ひのみさき)に来ています。 日御碕灯台への道を歩いていきます。 日御碕灯台が見えています。 日御碕灯台の入り口 明治36年完成の日御碕灯台 内部の見学もできるようですが、有料(300円)です。 中には入らず、灯台周囲を回ってみます。 灯台下から見る日海 では、灯台を出て、海岸沿いつくられた遊歩道を歩いていきます。 日海の荒波に削られた海岸の上に造られた遊歩道を歩いていきます。 遊歩道の先に展望台があり 20以上の小島からなる「出雲松島」だそうです。 家の松島(宮城県松島町)と比べると規模は小さいが、日海の荒波に浸されたその地形はなかなか壮観です。 そしてて遊歩道をさらに先に進むと バスから降りた駐車場に戻ってきました。 施設名 日御碕灯台 所在地 島根県出雲市大社町日御碕1478 電話 0853-54-5351 営業時間 平日9

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    suoaei 2021/09/06
  • 出雲ドリーム博多号 博多バスターミナル~宍道 令和3年8月 - カリバ旅行記

    国引き神話の地を訪ねて 1 令和3年8月末、 博多駅横の博多バスターミナルに来ています。 州方面の夜行バスが発車していく3階の35番ホーム そこに入ってきた、22時45分発の「出雲ドリーム博多号」 今日はここから出雲市に向かいます。 出雲ドリーム博多号は福岡・北九州と出雲市・松江を結んでいる夜行バスです。JR九州バスと中国ジェイアールバスが共同運行しています。 今日の運行はJR九州バスが担当しています。 車内。夜行仕様の独立3列シート。 座席と通路とを仕切るカーテンが下がっています。ただし中央席にはカーテンはありません。 数名の乗客を乗せ、 定刻に発車。夜の福岡市内を走っていきます。 出雲ドリーム博多号の運行に西鉄はかかわっていませんので、天神バスターミナルには寄らずに福岡都市高速道路に入ります。 バスは福岡都市高速から九州自動車道へ入り進んでいきます。 そしていったん九州自動車道を降り

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    suoaei 2021/09/04
  • 久大本線 1872D 日田~久留米 令和3年8月 - カリバ旅行記

    令和3年夏 久大線を行く 5 / 青春18令和3年夏紀行 2日目 大分から久大線を通って日田駅までやってきました。 待合室。冷房が入っていて快適です。次の列車まで一時間ほどあるので、ここでしばらく過ごし ホームに上がってきました。 18時26分発久留米行き鈍行列車。JR九州200系気動車の2両編成。 黒光りする転換クロスシートの車内 日田盆地をしばらく走ります。 列車が走ることがなくなった日田彦山線が分岐する夜明駅。 駅は夜明ですが 陽は少しずつ落ちていきます。 夜明駅を過ぎると大分県から福岡県に入ります。列車に沿っても流れる川も玖珠川から筑後川に名前が変わります。 筑後平野に出てきました。 田主丸で列車交換のためしばらく停車します。 ホームには巨大な河童の像 筑後川には、球磨川に住んでいた河童が加藤清正に追い出され、筑後川に住み着いたという伝説が残っているそうです。 3月に全く同じ時

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    suoaei 2021/08/21
  • 久大本線 1868D 由布院~日田 令和3年8月 - カリバ旅行記

    令和3年夏 久大線を行く 4 / 青春18令和3年夏紀行 2日目 由布院温泉の加勢の湯に入り、大杵社に参詣してから由布院駅まで戻ってきました。 由布院駅の待合室 冷房が効いて快適です。ここで列車の発車を待っておりますと 見たことない変わったトンボが飛んできて、テーブルの端にとまりました ホームに上がってきました 由布院16時21分発日田行き鈍行列車。JR九州125系気動車の2両編成 車内は黒光りするセミクロスシート。 横引きカーテンがなぜか全部の窓で閉まっていて薄暗い。 定刻、列車は発車します。 由布院盆地を左に見ながら走り やがて、山の中に分け入って、分水嶺のトンネルを通過します。 分水嶺を抜けて野矢駅。 3月に来た時はホームの待合所に「復旧・再開ありがとう」と書かれた垂れ幕がかかっていましたが、今は撤去されています。 久大線は令和2年7月の水害で被災し、今年(令和3年)3月1日に最

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    suoaei 2021/08/20
  • 大杵社 - カリバ旅行記

    令和3年夏 久大線を行く 3 / 青春18令和3年夏紀行 2日目 由布院温泉に来ています。 加勢の湯共同温泉に入って出てきました。 加勢の湯共同温泉の横の坂道を登っていったところに大杵社(おおごうしゃ)というのがあるそうなので、行ってみます。 由布岳を御神体とする宇奈岐日女神社の境外末社だそうです。 (なお、大杵社の「杵」の字は、正確には「のぎへんに牛」と書くようです。しかしこの字はワープロで見つけられませんでしたので、杵の字で代用します) 加勢の湯共同温泉の横、大杵社に至る坂道 8月の強い日差しの中、えっちらおっちら登っていき 林の中を抜けていきますと 駐車場の先に石段が見えてきました。 苔むした石の鳥居 鳥居のわきに、これも苔むした手水鉢 石段登ると拝殿が現れました。 工事中のようで、2名の作業員さんが休憩中でした。 ご祭神はシイネツヒコ(椎根津彦)ですね。椎根津彦というのは日書紀

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    suoaei 2021/08/20
  • 由布院温泉 加勢の湯共同温泉 - カリバ旅行記

    令和3年夏 久大線を行く 2 / 青春18令和3年夏紀行 2日目 由布院温泉の共同浴場、 加勢の湯共同温泉まで歩いてきました。 明治14年の建築だそうです。 屋根が低く、身長173cmのぼく頭をぶつけそうになりました。 お地蔵様が祀ってあります その下に料金箱、100円です。 管理人は常駐しておりません。 料金箱の中に100円を入れて、ドアを開けて中に入ります。 う~~む、何というか・・・ 脱衣室はなく、ドア開けると浴室 コンクリートの床に浴槽が一つ 浴槽の反対側の壁際、ここが「脱衣室」ということらしいです。 隅に湯桶が積み重ねられていました。 シャワーなんてものは当然ありません。 湯桶で湯をくんで、からだ洗ってから 湯の中へ ざぶんと入ります。 うん、いい湯です。 でも、ちょっと熱いな・・・ 浴槽の隅に、水栓がふたつ。 水が出る水栓と、湯が出る水栓。水のほうは止められ、湯のほうはちょっ

    由布院温泉 加勢の湯共同温泉 - カリバ旅行記
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    suoaei 2021/08/19