ふと思う。もし仮に「サユリスト」、すなわち吉永小百合さんファンのおじさまたちが「今時の若者」世代に生まれていたら、どうなっていたのだろうか? 私が思うに、ああいう人たちは、かなりの確率で二次元オタクになっていた可能性が高い。吉永さんのような女性は、生身の人間の女性でありながらも、どことなく存在感が二次元キャラっぽいのだ。単純に外見が二次元キャラっぽい女性有名人ならば、きゃりーぱみゅぱみゅみたいな人がいるが、吉永さんの「二次元キャラ」的要素は外見の問題ではない。 サユリストのおじさまたちは「今時の草食男子(←意図的に二次元オタクと草食男子を混同している)とかいう若造ごときと一緒にするな!」と怒るだろう。しかし、どうも私はサユリストの美意識が若い二次元オタク男性たちと大差ないように思える。どちらも「女神」の偶像を崇拝しているという点では同じだ。 あるサユリストの男性は「女は二種類しかいない。吉
曹丕「うちの弟たちが酔っ払って裸踊りをしているのですが、どうすれば止めさせられるのでしょうか?」 孫策「安心しろ、俺の弟どももブラブラだぞ」 曹丕「……」 劉封「なんて地獄絵図!」 袁煕「……」 司馬炎「楽しそう(笑)」 おいおい。それはさておき。 【Ado - うっせぇわ】 Adoさんの歌『うっせぇわ』は賛否両論ある楽曲だが、この曲に対する非難は十中八九、歌詞の内容…というよりはむしろ、言葉遣いに対してだろう。歌詞の主人公が女性という設定で、なおかつ女性歌手に歌わせる歌詞としては「邪道」の言葉遣いだが、それと組み合わせているメロディはむしろ、王道感満載のものに思える。少なくとも私は、嫌いではない。 この曲(というか、歌詞)に対して「中二病」だという非難は少なくないが、中二病の何が悪いのよ? と、私は思う。というか、若い世代が中二病に「ならない」のはかわいげがないし、「なれない」のはかわい
三好長慶「あのな、久秀。ちょっと聞きたい事があるのじゃが…」 松永久秀「何でしょうか、殿?」 長慶「『アワビ』って…下ネタ?」 久秀「いいえ、寿司ネタです」 果心居士「そりゃそうでしょ💧」 緋奈「…このブログの品位が…」 劉邦「イエーイ!!」 アーサー王「お寿司食べたい」 まあ、元々品位もヘッタクレもないが、それはさておき。 数年前のある夜、私は夢を見た。場所は、現代のロサンゼルス。そこに淮陰侯韓信がいたが、彼はなぜかモデルの仕事をしていた。そんな彼に怪しげなパーティへの招待状が届いた。 …多分、これ。村上龍氏の『エクスタシー』三部作を読んだせいで見たんだわ。しかし、やはり韓信は楽毅ではないのね。楽毅はあくまでも優等生タイプだけど、それに対して韓信には自堕落な設定が似合うような気がする。某小説ではゲイ寄りのバイセクシュアルで部下とそういう関係だし、別の某小説では呂后と不倫関係だし、宮城谷
伍子胥「これが札幌の地図か?」 張儀「はい、私がディレクター役としてダーツが当たったところに取材に行きます」 伍子胥「俺が所ジョージ役ね。よし、熊が出る藻岩山!」 (シュッ!) (カッ!) 伍子胥「あ、本当に藻岩山に当たった」 張儀「勘弁してくださいよぅ〜💦」 劉邦「やはり、張儀って伍子胥の使い魔だったんだな」 (追記) 伍子胥「あ、あのトリスタンとイゾルデの話について言いたい事がある。トリスタンはあくまでも被害者。悪いのは、あのクソ楚王と同類のマーク王だからな」 それはともかく。 私は某SNSで競馬ゲーム『100万人のウイニングポスト』をプレイしていた。『ウマ娘』をきっかけにしてリアル競馬に興味を持つようになったから、ついでにそちらにもハマっていたのだが、そこにいた上位プレイヤーたちの中に謎の人がいた。 かなりの「やりこみ度」が高く、殿堂入りした馬たちの成績がすごいが、なぜか全員同じ名
〽王昭君かと思ってみて近づいてみたら、女装した孟嘗君でした〜♪ チクショー!! (©コウメ太夫) それはさておき。 ズバリ、言おう。私は「歴史小説を人生の教科書として読む」というのは邪道だと思う。だって、歴史小説って小説だよ? 色々とあるエンターテインメント小説の一ジャンルに過ぎないっしょ? 変なの。 例えば、司馬遼太郎氏の小説のファンの方々がいい例だろう。ある作家の小説の中で、塩野七生氏のファンを批判する箇所があったが、おそらくは同時に司馬氏のファンをも批判するものだったのだろう。「司馬史観」なる概念が作られた時点で、ファンもアンチも変な勘違いをするようになったんでないかい? そういう意味で、宮城谷昌光氏とは、良くも悪くも司馬遼太郎氏の後継者である。「その手」のファンは少なからずいるようだし。 これまたヒンシュク発言をするが、私は宮城谷氏の作品群に対しては否定的、要するにアンチ寄りの人間
【Hyoutangさんによる「一見良い人そうで実は性格が悪い人を見極める方法はありますか?」への回答】 「一見良い人そうで実は性格が悪い人を見極める方法はありますか?」という質問が、Q&Aサイト「Quora」にあった。それに対する、ある回答が私は気に入った。その回答者さんのご意見については、上のリンク先をご参照いただきたい。要するに、ある程度頭が良くて、なおかつ自分自身の「性格の悪さ」を自覚している人ほど、他人に対して効果的に「善」を使う事が出来るのだ。回答者さんがおっしゃる通り、性格が良い人は、かえって意識的かつ効果的に「善を使う」事は出来ないようだ。 私はこの回答者さんを潔くかっこいい人だと思う。自分自身の「悪」を正面切って自覚し、自分自身の保身と利益をきっぱりと自覚している上で、他人や社会に対して「善」をもたらすのだ。少なくとも、肉食動物に対して無理やり干し草を食べさせるような的外れ
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