2012年11月28日07:00 カテゴリ城趾・史蹟・古墳博物館・資料館・美術館 彦根城二の丸表御殿 博物館の鉄の扉を開けると、表御殿の私邸(奥向)部 分です。 この表御殿は古い地図には記載がないので、おそら く江戸時代後期に建設されたものと推測されていま す。表御殿は明治に解体されましたが、近年になっ て、表御殿を移築した建造物が4棟発見されていま す。これらは彦根市の文化財に指定されたそうです。 奥向の見取り図です。グレーが表向(博物館)です。 奥向はオレンジぽい場所です。黄色が中庭で黄緑ぽ いところが前庭です。 博物館からの扉を開けたところ、表向からの通路で す。通路の脇の部屋は納戸です。この先、右に行け ば前庭のある広間、左に行けば、完全なプライベー ト空間である奥です。まずは前庭にでます。 最初の部屋は天光室とあります。炉が切ってありま すから、茶室ですね。家臣や客人が控える次の
まず五稜郭はヨーロッパに多い城の形で、大砲の撃ちあいに適した城の形です 日本にもわずかですが函館以外にも五稜郭はあります 本来、五稜郭式の城砦には建物を作りません 純粋に軍事的要塞と作られ、政治目的の建物は別の場所に作ります 建物は敵に大砲の目印となってしまうからです 「天守閣」は刀や弓の時代に敵の侵入を防ぐには有効ですが、大砲相手にはただの的なのです 平らにして、こちらからは撃ちやすいように先端を突き出したのが大砲時代の城、五稜郭式城郭なのです ヨーロッパではこのように政治の場「宮殿」と戦争用の「要塞」が別でした しかし函館の五稜郭では函館奉行所が建てられました 大砲時代の戦争を知らないまま、形だけまねて五稜郭を作ったからです そのため今までの日本通り政治の場所最中に作ったのです 建物を作ると大砲の的になる、それを知らずに函館奉行所を作ったため艦砲射撃の的になり、慌てて自分たちで奉行所を
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