面白い質問ですね。 わたしのなかでは 「死に急ぐ」は死が目的になっている、死に向かって(好んで)進んでいるというイメージです。 問題の「生き急ぐ」ですが、密度の濃い人生を送り(そのことで結果的に)命を縮めてしまった場合に使われるように思います。 「人生の密度」も考えようによっていろいろあると思うのですが、「自分なりの目的に沿った人生」というニュアンスもあるのではないでしょうか。過労死などの場合、ある意味で密度が濃いと取れないこともないのですが、「休みたいのに休めない」状態で本人として非常に不本意な場合は生き急ぐとは使いにくいような気がします。 なので、わたしとしては「生き急ぐ」を死者に対して使う場合には「もっとペースダウンして生きれば良かったのに」と惜しむ気持ちと共にごく微量の「夢中になれた人生だった」という賞賛の気持ちを含んだニュアンスがあるように思います。