コップを使うことは、水をいかに飲むべきか、飲むとはどういうことか、といった解釈を行為自体が代行する。「人工物を利用するものは、自ら改めていちいち問題解決に取り組む必要はなく、問題解決に必要な知的活動をそれらの人工物にゆだねてしまうことができる」(村田純一、前掲書)のだから、道具は、人間の解釈の柔軟性を奪いかねない。 「人間がおこなわなければならない解釈を代行するのが道具」だとしたら、そこにはすでにマニュアル人間化の方向性が含まれています。道具を用いることで人間は「問題解決に必要な知的活動をそれらの人工物にゆだねてしまう」というのは、まさに自分で考えて行動をすることなくマニュアルどおりでしか行動できないことへの道を開いているともいえます。 ここに、ものづくりをする人、文章を書く人、その他さまざまな形で他人にソリューションを提供する人の倫理観が求められる地点があるのではないでしょうか。 道具化