■ 人のミスを叱ったり注意したりする時に一番してはいけないこと。 それは全人格否定だと思う。 ミスをした行動などは叱らなければいけないが、本人になぜそれがいけないかと理由を 言わずに否定だけすると、本人はミスから学習をできずに否定だけされたことで萎縮を してしまう。そして自分のすべてを自己否定してしまう。 何で叱られたか判らないから何をするにも「また叱られるかも」と思って何もできなく なってしまう。今度はそれはそれで、何もしないと叱られて自己否定ループ地獄に陥る。 http://anond.hatelabo.jp/20080924181542を読んでつくづくと思った。 元増田がどんなミスをしてしまったかは判らない。が、生きててごめんなさいと思う事 は無いと思うよ。ミスをしたらそこから余すところなく学び取れ。ミスをしてしまった 今できることはそれだ。同じミスを繰り返さない為に。 Permal
shinshinohara @ShinShinohara 体罰の起源はおそらく軍国主義だと考えてよいだろう。ただ、戦後に入っても体罰がなくならなかったのには、理論的根拠になったものがあったのかもしれない。しかし日本の歴史にはあまり体罰の起源が見あたらない。しかし教育的体罰をある程度認めていた文明がある。西欧だ。 2013-01-13 22:42:35 shinshinohara @ShinShinohara 西欧ではルソーが現れるまで、子供を厳しく躾る家庭が多かった。鞭打つこともしばしば。こんなむごいことをしていた原因は、2つ考えられる。キリスト教の原罪の意識と、自らを厳しく律しようとするストア学だ。 2013-01-13 22:47:30
shinshinohara @ShinShinohara 大阪市立の桜宮高校で、教員の体罰が原因でキャプテンを勤めていた高校生が自殺したという。・・・日本では「体罰」が教育方法の一つとして根強く残っているが、奇妙なことに、「体罰」が教育方法として採用された歴史はごく浅い。それを振り返ってみたい。 shinshinohara @ShinShinohara 幕末の薩摩藩藩士、桐野利秋は貧しく低い家柄の子弟だったが武勇を見込まれ、同情に通うことが出来た。面白くないのは上級藩士。桐野の帰り道を待ち伏せし、数人で川に放り込むという意地悪を何度も繰り返した。だが、「鉄拳制裁」のようなことはなかったようである。 shinshinohara @ShinShinohara 江戸時代のものを読んでも、「体罰」らしい証拠は見られない。親が腹を立てて手を挙げる、というのはあるにしても、どちらかというと「無体(むた
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く