1959年、東京〜大阪間がわずか15分という、時速2500km幻の超音速列車の計画があったそうです。 「カラーテレビの実験放送も街頭に進出して実用化へ一歩近づきました」 テレビを持つ家庭はまだまだ少なく、街頭で見るのが当たり前の時代。 最先端のリニアモーターカーより速い、夢の列車の開発に取り組んだ男がいた。 その男とは、交通機械工学の神と呼ばれた、元名城大学学長の[故]小澤久之亟。 戦時中に旧陸軍の重爆撃機、「飛龍」を設計した、日本有数の航空エンジニアで、終戦後は国産の旅客機の設計を夢見ていた。 しかし、当時、GHQの指令により、日本では航空機の生産が全面的に禁止になった。 小澤の夢は泡と消えた。 しかし、あきらめなかった彼は、 飛行機の技術を使って、飛行機並の速度を地上で実現しようとする。 それは、音速を超える速度、時速2500kmで走る夢のような超高速列車の計画。 小澤の夢は、飛行機か
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