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ブックマーク / note.com/syosin_kai (7)

  • 特別編 ファミコンカセットのライセンスの歴史を調べていったらおかしなことに気がついた|初心カイ

    こんな形であったりします。自社生産も委託生産も、ユーザー側からしたら「カセットの形状がちょっとだけ変わってる」くらいの意味合いしか持ちません。 しかしメーカー側には重大な違いがあります。委託生産の場合、任天堂が製造する都合、任天堂がどれだけ生産するか決めることができます。 「どうして任天堂が委託する生産量を制限する必要があるんだ?」と思われるかも知れませんが、任天堂が認定したROM工場は多くはなく、毎月百万単位のROMがその少ない工場内で振り分けられ作られていました。もし、複数のソフト会社の大作がぶつかった場合、その製造ラインのほとんどをそれらに奪われ、その他の中小への割り当てが少なくなってしまうのです。その割り当てを決める権利は任天堂にありました。 またナムコvs任天堂でも解説したとおり、任天堂への委託生産の場合は任天堂から厳しい表現チェックが入ります。直接的な残酷表現、性表現、宗教表現

    特別編 ファミコンカセットのライセンスの歴史を調べていったらおかしなことに気がついた|初心カイ
  • 3DO -誕生から崩壊へ至るまでのクロニクル- 前編|初心カイ

    はじめに ――3DO この言葉に反応できる者はオッサンゲーマーだろう。20代以下の若者は一度も聞いたことがないかもしれない。しかし、反応できるオッサンゲーマーでも正確に3DOがなんなのか、把握している者はさほど多くはないのではないか? 「ゲームに関わったことがない松下が、適当に出して大失敗したゲームハードだろ?」 くらいの理解でいる方が多いのではないだろうか。実はこの理解はいろいろと事実誤認を含んでいる。 実はこのハードを作るにあたって、多数のゲーマーと、ゲームゲーム業界に詳しい人らが幾人も深く深く関わっている。そもそもの規格提唱者はゲーム業界に大きな影響を及ぼしたレジェンドなのである。そして松下自身もゲーム業界に以前から深く関わっていて、さらにいうならば3DOはゲームハードではない。 この奇妙奇天烈なハードについて解説を行うにあたり少しばかり時間を頂きたい。このハードが生まれ、そして敗

    3DO -誕生から崩壊へ至るまでのクロニクル- 前編|初心カイ
  • 絶対に教科書に載らない桃鉄の(ついでにコナミとハドソンの)歴史|初心カイ

    はじめに 桃太郎電鉄 ~昭和 平成 令和も定番!~ が累計販売数350万を突破しました。おめでとうございます。 最新ニュースを掲載しました。 『桃鉄』と「日清焼そばU.F.O.」の異色コラボが実現! ~ 『桃鉄』 の累計販売数は350万を突破 ~https://t.co/AGox7AEIDw pic.twitter.com/8yPM7ozeRv — KONAMI 企業広報・IR (@Konami_PR_IR) March 22, 2022 この売上は驚異的なものです。日において300万以上売り上げたゲームソフトは、実は「任天堂/ポケモン関連」「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」「モンスターハンター」「妖怪ウォッチ」しかありません。とんでもない化け物IPたちに桃鉄が仲間入りした、ということになります(元から長年の歴史を組んだ化け物IPな気がしますが)。 さて、そんな桃鉄

    絶対に教科書に載らない桃鉄の(ついでにコナミとハドソンの)歴史|初心カイ
  • 夢、見果てたり -セガ ドリームキャストの敗北-|初心カイ

    ドリームキャスト。セガが実質最後に発売したコンシューマーゲーム機の名である。 当時No1プラットフォームであるプレイステーション、そして長年のライバルであった任天堂のニンテンドウ64。 彼らに打ち勝つべく、セガが送り出したこのコンシューマーゲーム機は、セガに致命傷を負わせ、セガが自力で立てなくなるほどの状態に陥らせた。なぜここまでのダメージを負ってしまったのだろうか。 この記事はドリームキャストでセガがやろうとしたことを読み解き、今に至るまでの歴史を解説していく。 セガサターン時代、セガは流通改革でセガ・ユナイテッドを構築したが、結果だけを見ればこれは上手くいかなかった。(前回の記事参照) 理由はSCEがそれ以上に洗練された流通網を有していたことと、複数の問屋の集合体であるセガ・ユナイテッド内部で競合が起きてしまったこととがある。 セガはドリームキャスト発売の前段階として、この流通を改革し

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  • 歴史に名を刻め セガ サターン流通改革の裏事情 あとがき+補足|初心カイ

    歴史に名を刻め セガ サターン流通改革の裏事情。お楽しみ頂けましたでしょうか。 主立ったエピソードにはきちんとソースがあります。展示会の終わり際に松葉屋の専務が任天堂山内社長に謝った話はとても創作っぽいですが、目撃者もいる事実です。ただ、「よう帰ってきてくれたな」という台詞や細かな仕草は私の創作です。多分言ってないと思います。 セガが初心会流通を使っていたか、という点で資料はてんでばらばらです。使っていたから任天堂に勝てなかった、という記述もあるし、使えなかったから負けた、という説もあり、わけがわからなくなりました。ですがツイッターにて任天堂非公認のSM調教士瞳というスーファミのエロゲーを初心会流通が扱っていた……という話があったため、ならばセガを取り扱うことがなかったわけがないだろう、と使っていた説を採用しました。 また松葉屋がなぜセガ・ユナイテッドの誘いを受けたかの理由の記述も私の想像

    歴史に名を刻め セガ サターン流通改革の裏事情 あとがき+補足|初心カイ
  • 歴史に名を刻め セガ サターン流通改革の裏事情 -前編-|初心カイ

    その偉大なる挑戦者の名は セガ かつて巨人任天堂や、超新星ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)に立ち向かい戦ったものの名である。 その歴史には数々の敗北が刻まれているが、セガはそれを決して恥じることなく自社ホームページ内に掲げている。 そんなセガのホームページ内にこのような記述がある。セガハードヒストリー内、第五回セガサターンの項目だ。 https://sega.jp/history/hard/column/column_05.html 「セガは、CD-ROMによるゲームソフトの製造コストダウンとあわせ、流通コストを下げることを狙って『セガ・ユナイテッド』を設立。ゲームソフト流通にも格的に参入し、『メガドライブ』後期には8,000円近くにまで上昇していたソフトの価格を下げるべく動きます。」 たった一文。これだけの記述の背景には、セガの、ゲーム業界の巨人任天堂に挑んだ熱意と、新

    歴史に名を刻め セガ サターン流通改革の裏事情 -前編-|初心カイ
  • 歴史に名を刻め セガ サターン流通改革の裏事情 -後編-|初心カイ

    セガ・ユナイテッド発表後、松葉屋は慌てに慌てていた。1994年の年末商戦の目玉である任天堂ソフト、スーパードンキーコングの入荷がなくなったからである。入荷未定ならばまだいい。任天堂から言われた数字は「ゼロ」だった。一も入荷する目処が立たなかったのだ。 松葉屋は計算違いをしていた。確かに任天堂はソニーとパナソニックを敵と表面上は(あくまで表面上は)みなしていなかった。 しかしセガは違っていた。セガは幾度となく拳を交わした強敵だ。その上アメリカ市場ではジェネシス(メガドライブ)がSNES(スーパーファミコン)を抑えて市場シェアを獲得していた。侮る要素は何もなく、名実共に全力で戦わざるを得ないライバルだった。 そんなライバルにゲーム機の優先権をちらつかせられたくらいで、ほいほいと尻尾を振ってついていった松葉屋を任天堂が許容するわけがなかった。年末商戦のキラーソフトを一たりとて売る理由はない。

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