そう。 ぼくらが見ている「形」のなかで、 見逃しちゃってるものがあるでしょう。 同じストライクでも、 ボールひとつ右に内角に寄っている、 みたいなことを、葛西さんは ぼくらと同じ暮らしをしながら、 ちゃんと、見てんだな、と。 ぼくは、今日は改めて 喜びとともに感じたのは、 葛西さんが見てるものの分量が 自分よりずっと多いんだ、 ということのうれしさでした。 葛西さんはフィギュアコンシャスに生きてて、 ちょっとした形の違いみたいなものに いいな、悪いな、どうすればいいんだろう、 みたいなことを、 きっとぼくら以上に見てるんだろうなって。