ブックマーク / tabikaz.com (39)

  • 光明寺「栃木県小山市」

    宝篋印塔は、「宝篋印陀羅尼経」(ほうきょういんだらにきょう)を納めた供養塔で、石造りは鎌倉時代中期頃から造成されるようになりました。長福寺跡から出土したと伝えられています。応安二年と刻まれ西暦1369年あたりだそうです。造立者が、自分の極楽往生を願って生前に建てたと言われています。 高さ86.5cmで、あまり風化して無くて、保存状態は良好です。 建設中の客殿

    光明寺「栃木県小山市」
  • 長蓮寺「栃木県真岡市」

    真岡市の中心市街地の、東部にあり商店街などが立ち並ぶ、街中に立地します。 時宗(じしゅう)の宗祖、一遍上人の入滅後、時宗教団の大成者である二祖、真教上人は、一遍上人の教えを広めるため諸国行脚の中に、西暦1297年に下野国真岡(現栃木県真岡市)の西郷大際山に留錫(りゅうしゃく)し、念仏修行の道場として、阿弥陀如来を尊とし長蓮寺を開創しました。 お念仏を称える時宗教団は、遊行(ゆぎょう)、賦算(ふさん)、踊り念仏等の実践的布教により庶民の支持を得て、室町時代に隆盛を極めました。資料によれば、その頃、時宗寺院は全国に6万ヵ寺以上あったそうです。 長蓮寺は、南北朝時代の西暦1347年に芳賀高貞公の命により、その居城の鬼門方向である現在の地へ移築されたと伝えられています。 後醍醐天皇の従兄弟である尊観法親王が、南北朝期の荒れた世相を嘆き、遊行上人に帰依し、念仏で衆生済度したいと出家した後、真岡長蓮

    長蓮寺「栃木県真岡市」
  • 鷲城跡(鷲神社)「栃木県小山市」

    栃木県の南部にある小山市の、JR小山駅から、西進して国道4号を渡ると小山市役所があり、南進して国道50号を渡り、小山総合公園が、思川との間にあり、公園の北東に城跡があります。 現在は、鷲神社として、散歩に訪れる方が、おりますが神社には、生憎駐車場がありません。鳥居下には車止めが有り一般車両は境内に乗り入れは、遠慮した方が良さそうです。(鳥居の脇から侵入可能ですが)小山総合公園に、駐車して散歩がてらに探索することをお勧めします。

    鷲城跡(鷲神社)「栃木県小山市」
  • 道の駅アグリパークゆめすぎと「埼玉」

    農産物直売所では、地元杉戸産の野菜や果実(柿)が多く並べられていました。 レストランでは、埼玉県が認証する「特別栽培農産物利用店」として、地元で収穫された減農薬の農産物を中心にそば、うどん、定メニューなど、ふるさとの味を提供しています。 また、バーベキュー広場があり、新鮮野菜を購入して、バーベキューで頂くことができます、公園には遊具などもあり小さいお子さんなどは、一日中楽しめます。 予約制ですが、季節野菜の収穫体験ができます。 利用回数と利用形態 昼間の利用で、初めて利用しました。その後複数回利用しました。 施設情報

    道の駅アグリパークゆめすぎと「埼玉」
  • 妙顕寺(みょうけんじ)「栃木県佐野市」

    由緒 天目上人は美濃阿闍梨(みのあじゃり)と称し、下野安蘇郡奈良渕村(しもつけあそぐんならぶちむら)で布教していたとき、唐沢山城主の佐野家及び家臣の若田部源五郎光盛が帰依して一宇を建立して、天目上人を開山に仰いだのが妙顕寺の始まりだそうです。 西暦1423年、将軍足利義教(よしのり)より寺領三百石を寄進され、西暦1507年佐野家の祈願所となりました。 西暦1574年に、火災に遭い全山焼失したそうです。西暦1602年には、唐沢城の春日山移築にともない、その鬼門除けとして現在地に移りました。 西暦1794年に、再び火災にあい、現存する鐘楼のみを残して、すべてを焼失しました。 現在の堂宇は、西暦1855年の建立です。

    妙顕寺(みょうけんじ)「栃木県佐野市」
  • 千葉旅2016多古町から帰宅

    11月13日(日曜日)、最終日の朝を道の駅多古で迎えて、恒例の朝の愛犬散歩に出かけます。 昨日も、散々散歩したコースを歩きました、流石に早朝は寒いです。アジサイが栗山川の両岸に、延々と植栽されています、開花の季節でしたらまた違う感覚で接する事が出来たでしょうね。 今日の、道の駅ウォッチングのノルマは、3駅です休日ですから、混雑が相当予想されますから、早めの出発準備をして、出かけました。 ますは、多古町の中心市街地に向かいました、街中は非常に狭いです。一部一方通行でしたが、ハイエースの巨体が走行するような、道幅ではないようです。 多古陣屋跡 昨日の案内板を、記憶したつもりでしたが、全く役に立ちません。道路に案内板は有るのですが、兎角ありがちな、最後まで案内しないで、途中で分からなくなるパターンでした。 狭い道を、何度も行ったり来たりを繰り返して、付近の民家の縁側で新聞を読むおとうさんに多古陣

    千葉旅2016多古町から帰宅
  • 千葉旅2016南房総市から多古町

    昨日までの寒い雨天から一転して、晴天に恵まれた土曜日です。観光地化された半島付近は相当の混雑が予想されます。休日の観光地に行くのは、好きではありませんが、通過するしか有りませんから、早めの出発です。 道の駅富楽里とみやまで、朝を迎えて、恒例の愛犬と付近探索散歩をしました、昨晩はハイウェイオアシスとは認識していましたが、インターチェンジ兼用かと思っていました、散歩してここからは乗れないのが分かりました。開店前の搬入中の農家の方達の値札を付けるのを、搬入専用駐車場で、搬入者に伺いながら、金額を含めウォッチングしました、若干高めの設定です。 激安の道の駅ながらと比較しては、いけないのかもしれませんがね。 朝を済ませ出発準備を済ませて、今日は半島をぐるりと回る予定です。 南房総市富浦町の、道の駅おおつの里に向け出発しました。 道の駅おおつの里をウォッチングして、同じ市内の道の駅とみうらをウォッチ

    千葉旅2016南房総市から多古町
  • 妙建寺(みょうけんじ)「栃木県小山市」

    小山市の中心市街地にあり、国道4号沿いの小山市役所南方に立地します。 西暦1334年に、日蓮宗六老僧の一人、日頂の弟子、松房日念によって開基されたと伝えられています。 その後、十八世幽遠院日沾聖人、十九世蓮華院日法聖人により 西暦1717年から16年かけて再建されたそうです。 山門 明治時代に三十二世慈正院日透聖人建立したそうです。

    妙建寺(みょうけんじ)「栃木県小山市」
  • 無量寿寺(むりょうじゅじ)「栃木県真岡市」

    真岡市の北部の、井頭公園にほど近い場所に立地します。 由緒 無量寿寺の創建は、西暦1375年に専修寺住職定恵の法弟定祐が籠谷村(現真岡市籠谷)に開山したのが始まりと伝えられています。 中世には、芳賀氏の家臣籠谷氏の庇護となり西暦1573年~1593年に籠谷政高が現在地に伽藍を建立し天台宗へ改宗しています。 西暦1683年に火災により堂宇や記録、寺宝など多くが焼失しました、西暦1687年に祐山和尚が再興しました。 現在の山門は、真岡藩主稲葉正公ゆかりの政成寺にあった建物でしたが西暦1627年に、移されたと言われています。 山門

    無量寿寺(むりょうじゅじ)「栃木県真岡市」
  • 道の駅きたかわべ利用記録情報「埼玉」

    平日でも、混雑している直売所とレストラン、そしてレンタル自転車が、沢山並んでしました。 ウォータースポーツ・レジャーを楽しむ拠点、スポーツ遊学館が道の駅構内にあります。 農産物直売所では、地元産の新鮮野菜を販売しています、米が多く並んでいました、中でも、道の駅ので、初めて見ましたが、メダカが販売されていました。(用ではなく観賞用です) レストランでは、うどん、ぞば、定などが提供されていました。 冒頭にも触れましたが、平地の3県境の栃木県藤岡町と埼玉県加須市と群馬県板倉町が接します。

    道の駅きたかわべ利用記録情報「埼玉」
  • 須賀神社「栃木県小山市」

    社伝によりますと、創建は西暦940年に、藤原秀郷が天慶の乱(平将門の乱)に鎮圧した時に、現在の小山市中久喜に創建したのが始まりと伝えられています。 現在の地に移ったのは、西暦1156~60年に祗園城(小山城)築城時に会わせたと伝えられています。小山氏の信仰により隆盛しましたが、西暦1590年の小田原の役で北条氏が滅亡すると小山氏も所領が没収され一時衰退しました。 西暦1600年に、関が原の合戦の際、徳川家康が上杉討伐のため上杉家の鶴ヶ城のある会津(現福島県会津若松市)に進軍しましたが、石田三成の挙兵で、急遽須賀神社境内で小山評定(おやまひょうじょう)が行われました。 この小山評定により多くの豊臣家恩顧の大名を徳川方に味方に付ける事に成功したため、徳川家康は須賀神社に戦勝祈願し石田三成との決戦に臨みました。 徳川家康率いる東軍が勝利したため、感謝の意で須賀神社は徳川家の崇敬社となり社領51石

    須賀神社「栃木県小山市」
  • 道の駅思川利用記録情報「栃木」

    小山市は、栃木県南部にあり、国道50号沿いの、小山市中心市街地の西側に立地します。 栃木県内の道の駅としては、毎年1位2位を争う人気度の販売技術は、他を圧倒していると思います、常に農産物などの、品切れを極力無くす努力は、他の道の駅から、視察に来るほどです。 地元の農家の野菜を中心に販売されます、内陸部には、珍しく鮮魚コーナーがあり新鮮な海産物が、販売されています。 また、レストランでは、小山ブランド豚柔らかお肉の、おとんが提供されています。 利用回数と利用形態 昼間の利用で、初めて利用しました、そのご複数回利用しました。 案内地図 施設情報

    道の駅思川利用記録情報「栃木」
  • 200系ハイエースdxエアコンフィルター自作メンテナンス

    200系ハイエースdxには、エアコンフィルターが、標準装備されていません。通常はフィルター無しで使用するか、ワゴン系の純正品か市販品のエアコンフィルターを購入して使用しています。市販品を昨年購入して、使用していますが通常使い切り(使い捨て)ですが、フィルターの上にクイックルワイパーを覆い被せて、繰り返し使用しています。 200系ハイエースのエアコンフィルターの交換または、新規取付の仕方が、通常の乗用車とはと異なりブローブボックスの裏側にあるので分かりづらいので、取り替え方の手順を説明します。(画像を交えて、説明します)

    200系ハイエースdxエアコンフィルター自作メンテナンス
  • 足利尊氏開基の観音堂「栃木県真岡市」

    山いきものふる里根山自然観察センターの玄関口にあたる、根山の麓にあります。 先日紹介しました、大雄山能仁寺の近隣です。 関連記事 足利尊氏開基の能仁寺(のうにんじ)「真岡市」 聖観世音菩薩と馬頭観世音菩薩を尊として、西暦1338年に足利尊氏が開基したといわれています。この地根境沢地区に建立されたのは、次のようないわれがあります。 西暦1320年7月9日の夜に、足利尊氏が十五歳のときに、夢枕に異形の僧侶が立ち「自分は根境沢の土中に埋没している観世音である武運長久を願い大将軍を望むならば、来て我が体を拝せよ」というのでありました。掘り起こしてみると、聖観世音と馬頭観世音が白蛇と黒蛇が護られていました。足利尊氏は深く感銘してこれを尊信して、ここに安置されたと言われています。更に、堂の守護として、五年後、西暦1343年大雄山能仁寺を建立したといわれています。 堂 道路が狭いカーブ

    足利尊氏開基の観音堂「栃木県真岡市」
  • 200系ハイエースメーター裏異音対策とパネル解体手順

    100系ハイエース時代までは、ビス類で固定してある箇所が、何カ所かありましたが、200系ハイエースのパネル類は、ビス類の固定は無く、外し方の手順や、強引に外すと復旧時にガタが出たり隙間などが出てしまいますから注意が必要です。 ヒーターで充分加温 夏場の、高温時は別として、エンジンを暖気して、ヒータで加温した状態から作業することをお勧めします。特に初めて外すときは、十分に温めます、我がハイエースは、数え切れないほど外していますので、今の季節の昼間でしたら、そのまま外しています。 左側のドア吹き出し口パネル まずは、左側(助手席側)のドア吹き出し口のパネルから外します。

    200系ハイエースメーター裏異音対策とパネル解体手順
  • 天翁院(てんのういん)「栃木県小山市」

    天翁院は、小山市の中心市街地の国道4号沿いの、祇園城跡(城山公園)の北東部に立地します。 概要 祇園山天翁院萬年禅寺の創建は、西暦1156年、小山政光(藤原秀郷の後裔と言われている大田政光が小山城に入り小山氏に改称)が開基しました。 代々の菩提寺としたことが始まりと伝えられています。 当初は北山(小山市中久喜地内)にありましたが、万年寺と称して、西暦1532年~1555年に小山高朝が現在地に移して、堂宇を再建しました。 現在地は小山氏の居城である祇園城の郭内部で、祇園城の防衛の一翼を担うように計画されたと言われています。 培芝正悦(曹洞宗の僧、上野双林寺で出家)を招き中興開山し、西暦1574年に、高朝が死去すると法名である、天翁孝運にちなみ天翁院 と寺院名を改称したそうです。 西暦1808年の火災により多くが焼失し、時の住職仙宗が再興して現在に至ったそうです。 歴史は、ありますが

    天翁院(てんのういん)「栃木県小山市」
  • 道の駅那須与一の郷利用記録情報「栃木」

    那須与一の扇をモチーフにした駅舎の屋根と、那須与一の銅像がお出迎えします。 併設の与一伝承館では、屋島の合戦で那須与一が扇の的を射抜いたエピソードを、 映像とからくり人形により再現しています。 展示室には那須家伝来の宝物をはじめとする貴重な資料を展示しています。 農産物直売館では、地元の生産者が朝採りした新鮮野菜や農産物加工品、花卉が提供されています。 レストラン扇亭では、大田原産のコシヒカリや四季折々の新鮮野菜を取り入れた定や、道の駅定番の手打ちそば類は、好評でお勧めです。 道の駅の隣には、国指定重要文化財の那須神社があります、道の駅の駐車場に停めて、徒歩で探索でき大変便利です。

    道の駅那須与一の郷利用記録情報「栃木」
  • 千手観音堂と千手観音「栃木県真岡市」

    真岡市の南東部にあり、茨城県筑西市に抜ける峠の切り通しの西側、栃木県道179号沿いにあります。 境内に上がるまでの、木杭の階段や、石段はありません。歩いた跡すら見当たりませんので、土手を滑りそうになりながら、愛犬に引っ張って貰いながら、登りました。 境内は、草地ですが、地区氏子の方々が清掃されているのでしょう、綺麗に草を短く刈り取ってありました。 しかし、修復の予算が、捻出できないのでしょうか、建屋はかなり老朽化している様子です、内部も荒れ果てている様子です。

    千手観音堂と千手観音「栃木県真岡市」
  • 道の駅にのみや利用記録情報「栃木」

    真岡市は、栃木県の南東部にあり、国道294号沿いの、旧二宮町の中心市街地の南側の茨城県筑西市の県境に立地します。 旧二宮町には、かの有名な二宮金次郎(二宮尊徳公)の名の由来になった町でした。 真岡市は、SLを運行している鉄道で知られている、真岡鉄道の社がある自治体です。

    道の駅にのみや利用記録情報「栃木」
  • 天満宮(北古屋城跡)「栃木県茂木町」

    茂木町は、栃木県東部にあり、栃木から茨城県境の那珂川にかかる国道123号沿いの、那珂川大橋の茂木側の、道路は山に沿って大きく東にカーブする、このカーブの東端部分に、北古屋城がありました。 かつては、飯野小学校と使用していましたが、現在は飯野ふれあいセンターと天満宮として使用されています。

    天満宮(北古屋城跡)「栃木県茂木町」