年の瀬になると、いつも死ぬことを考える。死にたいというのではなく、漠然と自分が死ぬことを思う。もしも今日が人生の終わりの日なら、何をして、誰のことを考えるだろうと思う。年末の乾いて澄んだ空気は、全部をなげうってしまうのにちょうど向いている。不快感を表明する必要も、誰かと誰かの諍いも、引き受けてしまった口約束も。 若いときに考える死は、たいてい孤独の中で、関係性について思考をめぐらす中から出てくる想念だ。年をとって想う死は、関係性の中で、孤独の意味を求めて辿り着く理想だ。若者が孤独のうちに死を夢想するのに対し、老人はどうやって死ぬための孤独を手に入れられるか考える。どちらも、死がいまここにないからこそ出てくる思考だ。 今年は、人との別れ、あるいは死別について考えることの多い年だった。また楽しくやろうぜ、と手をたたき合った人が、次の瞬間には、いない。死はいつも遺された側にとっての出来事だ。だか