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死生観に関するsync_syncのブックマーク (2)

  • 僕らの死を想う

    年の瀬になると、いつも死ぬことを考える。死にたいというのではなく、漠然と自分が死ぬことを思う。もしも今日が人生の終わりの日なら、何をして、誰のことを考えるだろうと思う。年末の乾いて澄んだ空気は、全部をなげうってしまうのにちょうど向いている。不快感を表明する必要も、誰かと誰かの諍いも、引き受けてしまった口約束も。 若いときに考える死は、たいてい孤独の中で、関係性について思考をめぐらす中から出てくる想念だ。年をとって想う死は、関係性の中で、孤独の意味を求めて辿り着く理想だ。若者が孤独のうちに死を夢想するのに対し、老人はどうやって死ぬための孤独を手に入れられるか考える。どちらも、死がいまここにないからこそ出てくる思考だ。 今年は、人との別れ、あるいは死別について考えることの多い年だった。また楽しくやろうぜ、と手をたたき合った人が、次の瞬間には、いない。死はいつも遺された側にとっての出来事だ。だか

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    sync_sync 2010/01/01
    「七味五悦三会」何度も聞いたけど、いい言葉だ。
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    新着コメント 暴君の最期③ みけ (09.27 22:03) christmas (09.26 14:24) 春野ことり (09.25 05:28) ひいらぎ (09.23 21:56) 春野ことり (09.22 01:03) ひいらぎ (09.21 20:42) kokeshi (09.21 00:18) hanamegane (09.20 22:33) 児斗玉文章 (09.19 20:56) akagama (09.19 16:35) 中央公論1月号の特集、「医療崩壊の行方」の中で、若手医師の匿名座談会ー現場からの提言 という記事があった。「患者のみなさん、まずはあきらめてください」 というタイトルがつけられている。これによると  厚労省は「自宅での看取り」を求め、「お産も産婆さんが家で取り上げる」ことをすすめようとしている。そうすれば日人の平均寿命は下がるし

    sync_sync
    sync_sync 2007/12/28
    患者としては腑に落ちない。僕は医療ミスで伯父を亡くしているので。しかし、全ての人に万全の医療をと思ってもリソース(人・薬)が足りないのも事実。ドクターと患者は歩み寄るしかないのだろうが、術は分からない。
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