ヴェトミンが決定的なイニシアティブを握ったのは、「二百万人餓死事件」である。この事件は、ヴェトナムではことあるごとに、日本を非難する出来事として引き合いに出される。 一九四四年末から一九四五年にかけて、ヴェトナム北部と中部で、食糧飢饉のために二百万人が餓死したといわれる。ヴェトナムの主張によると、このような大勢のヴェトナム人が死亡した理由は、日本軍が食糧を強制調達したからだということが定説となっている。いまでも、北ヴェトナムを歩くと、老人たちは、日本軍進駐時代の苦しい思い出として、これに触れるのである。 この事件は、ホ・チ・ミンの独立宣言の中にもふれられている。「われわれ人民は、日本とフランスの二重支配を受けてきた。そのためにわれわれはいままでよりも一層苦しくなり、一層みじめになった。その結果、昨年末から今年はじめにかけて、クァンチ省から北部にかけて二百万人を超えるわが同胞が飢え死にした」