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2015年10月24日のブックマーク (6件)

  • 稲作やアジア圏における主食の起源のお話

    古代中国の稲作と麦作を南北に単純に区分けしてしまう考証は、米だって幾多のしゅるいがあるのだから乱暴すぎる、という話からいろんな知識が集まって、アジア圏の話に。

    稲作やアジア圏における主食の起源のお話
  • 今後はICJで訴訟を起こされても受けて立たない

    リンク news.xinhuanet.com Aust'n gov't seeks legal advice after Japan defies whaling injunction - Xinhua | English.news.cn Australia's government has announced it will seek legal advice following Japan's decision to disregard an international court ruling which barred it from whaling in the Southern Ocean. (The date shown after the name of the State indicates the date of deposit of the declaration.)

    今後はICJで訴訟を起こされても受けて立たない
    synonymous
    synonymous 2015/10/24
    日本の神は食べ物ですからなあ
  • THE PAGE(ザ・ページ) | 気になるニュースをわかりやすく

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  • 【感動秘話】ノーベル物理学賞に残された「もう一枠」~梶田隆章さんが師と仰ぐ戸塚洋二氏の功績とは(週刊現代) @gendai_biz

    世界中の物理学者が思い浮かべた名前 ノーベル賞は、通常3人まで同時授賞されることで知られている。 だが10月6日、梶田隆章・東大宇宙線研究所長(56歳)のノーベル物理学賞受賞が発表された時、読み上げられた名前は2人だった。その瞬間、世界中の物理学者が「残る一枠」の名前を思い浮かべた。 ヨウジ・トツカ。 2008年に大腸ガンで逝去した戸塚洋二氏(享年66)のことである。岐阜県神岡町の山中にカミオカンデを作り、世界で初めてニュートリノを観測した小柴昌俊さん('02年ノーベル賞)の愛弟子として、後継施設スーパーカミオカンデ建設を主導した人物だ。 梶田さんは受賞会見で戸塚氏のことを「色々なことを教えていただいた先生のような存在です」と語り、「氏が生きていたら共同受賞をしていたと思うか」との問いに、 「はい、そう思います」 と即答している。 「戸塚氏と梶田さんは小柴研の先輩後輩で、いわば戸塚氏が兄弟

    【感動秘話】ノーベル物理学賞に残された「もう一枠」~梶田隆章さんが師と仰ぐ戸塚洋二氏の功績とは(週刊現代) @gendai_biz
  • 5歳男児放置死、父「育児がわからず」 懲役19年判決:朝日新聞デジタル

    神奈川県厚木市のアパートで昨年5月、死後7年経った斎藤理玖(りく)君(死亡当時5)の白骨化遺体が見つかった事件の裁判員裁判で、横浜地裁は22日、殺人などの罪に問われた父親の斎藤幸裕被告(37)に対し、懲役19年(求刑懲役20年)の判決を言い渡した。伊名波宏仁裁判長は「長男の生命をあまりに軽視し、栄養失調死させた残酷さは想像を絶する」と述べた。 判決によると、被告はが家出した2004年10月から理玖君を1人で養育。トラック運転手として出勤する際は保育園などに預けず自宅に閉じ込めた。 その後、別の女性と交際を開始。電気、ガス、水道が止まったアパートに行って理玖君の面倒を見るのが嫌になり、事や飲み物を与える回数が減った。 低栄養状態が続き、理玖君の関節が曲がって固まる症状が見られた06年12月中旬以降も、十分な事を与えたり適切な医療を受けさせたりせずに放置。翌年1月中旬ごろに栄養失調で死亡

    5歳男児放置死、父「育児がわからず」 懲役19年判決:朝日新聞デジタル
  • 「アンネの日記」真贋論争~偽書説が科学的検証を経て否定されるまで

    「アンネの日記」が何者かの手によって都内図書館で多数破られているというニュースが次々と報じられている(2014年2月)。サイモン・ヴィーゼンタール・センターによる批判を皮切りに海外メディアでも報じられて、国際問題の様相すら呈しつつある。 この事件については当局の適正な捜査を見守るだけだが、これを切っ掛けにふと「アンネの日記」を色々と検索してみると、未だにアンネの日記偽書説がインターネットに広がっているようだ。え?今更?としか思えないのだが、結論から言うと「アンネの日記」は1981年にオランダ国立戦時資料研究所とオランダ国立法科学研究所による科学的調査の上でアンネ・フランクが書いたものと確定している。この件、日ではwikipediaに軽く触れられている程度で、インターネット上にはテキストが見当たらないので、これを詳説したオランダ国立戦時資料研究所編「アンネの日記 研究版」(絶版)をもとに改

    「アンネの日記」真贋論争~偽書説が科学的検証を経て否定されるまで