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一般的には悲惨な戦争体験の新しい表現として評判のこの映画だがガチ左翼、とくに朝鮮シンパにはすこぶる評判が悪い そもそもこうの史代の「夕凪の街 桜の国」が日本人が被害者ぶってる戦争体験だけ美化されてるニダとかなんとかで受けが悪く、 こうのが「この国に生まれながらこの国のことが嫌いな人たちがいるようです」みたいなことを口走ったおかげでド極左に敵視されてたようだ 「この世界の〜」原作では例の太極旗のくだりでこうの自身が批判に落とし前をつけたようだが、今回の映画版ではそのへんをわりとサラッとやってしまったのがいたく朝鮮シンパの気に食わないらしい 片渕須直監督の「あの場面ではすずさんに唐突に国家を背負わせる必要もなかったのでは〜」的な発言も心象が悪いらしい そもそも呉みたいな軍都に住んでて無垢にひたむきに生活を営み、彼らの産業が植民地の三国人どもを抑圧してることを見ないようにしてるようなほんわかし
「この世界の片隅に」は橋の物語なんだよね。 ほら、「ポンヌフの恋人たち」とか、 今年最大のヒットを飛ばした数寄屋橋での男女のすれ違いを描いたメロドラマ(違う)とか、 橋を舞台にしたラブストーリーってあるよね。 すずと周作は幼少期に広島の橋で出会って、嫁ぎ先の呉の橋の上で語らい、 最後に出会いの場所に戻って愛を確認する。 シンプルなロマンスだなあと思うだけど、ここで広島の橋に注目したい。 この橋はストーリーには出てこないけど、昭和15年に橋の形がT型に改修されるんだ。 で、その目立つT字型が徒となり、エノラ・ゲイはこの橋を標的に原子爆弾を投下した。 この世界の片隅に? とんでもない、二人のラブロマンスの舞台は広島の惨禍の中心地だ。 でも、この橋は原爆のすさまじい熱線と爆風に耐え、破壊はされたものの落橋しなかったんだ。 終戦後の橋の上で、周作は「この街もわしらももうあの頃にはもどらん 変わり続
ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんによる、話題の作品をランダムに取り上げて時評する文化放談。前編記事に続いてアニメ映画『この世界の片隅に』について語り合います。 宿命を受け入れる映画なのか、そうではないのか 飯田 近いのに遠いというか、隣なのに別世界。そういうことの連続を描いている作品ですよね。原爆が落ちた広島の隣の呉、同じ「鈴」という名前を持ちお互い貧乏暮らしをしていたのにかたや遊郭で働いているりん、不発弾でとなりで亡くなる晴美。そういう人たちがいるなかで生きているからこそ彼女は「この世界の片隅」にいるのだと思っているという気がする。もしかしたら死んでいたのは自分だった、という場所に誰だって本当は生きていることを思い起こさせる。 藤田 そうですねぇ…… 生きるも死ぬも、どんな境遇に生きるのかも、ほんの紙一重だっていうのが、よく伝わってきますね。まったいらになっ
(注:ネタバレまくりです) 泣けなかった。 自分は映画で良く泣く派。 「君の名は」も「聲の形」もガン泣きした。 でも「この世界の片隅に」はまったく泣けなかった。 とてもおもしろかったし、良い作品だと感じました。 でも泣けなかった。 なぜだろう? その理由を考えてみた。 【すずさんの人生に「困難>幸福」を感じた】 描かれる当時の社会情勢はハンパなく苦しい。 ・知らない人といきなり結婚させられ知らない家族と暮らすはめに ・でもって義姉がきつい性格 ・まともに食べるものがない ・空襲で姪を失い自分の過失を責める ・自分もいつ空襲で死ぬかわからない ・手を失い大好きな絵を描けなくなるばかりか、家事もできずに嫁としての労働力にならない などなど。 「それでも彼女はたくましく生きたのです。素晴らしいのです。」 といってしまえばそれも感動ポイントなのかもしれないけど。 自分はそう感じられなかった。 そう
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