批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。 大河ドラマ「八重の桜」第二回「やむにやまれぬ心」を視聴した。吉田松陰と佐久間象山が国元蟄居となり、象山塾は閉塾になる。 このあまりにも有名な史実の影で、全く語られないエピソードを一つ紹介したい。吉田松陰と老中・松平忠固(信州上田藩主)の数奇な物語である。 これまで山のように吉田松陰論が書かれ、松陰はあらゆる角度から論じられてきた感がある。しかし、この論点は書かれたことがないと思う。日米条約の調印後、松陰が突然に過激になって老中・間部詮勝の暗殺を企て、討幕を叫ぶまでに至る、その要因は彼が敬慕していた老中・松平忠固と堀田正睦の失脚にあったと思うのだ。忠固と正睦の失脚はすなわち、松陰が懇願していた佐久間象山赦免の可能性が消えたということを意味したからだ。 私はこれまで上田藩士・赤松小三郎の復権