タグ

ブックマーク / takahashifumiki.com (2)

  • まずは「コードの汚さ」の定義からはじめよう | 高橋文樹.com | Web制作

    この投稿は 10年 前に公開されました。いまではもう無効になった内容を含んでいるかもしれないことをご了承ください。 「コード汚くてもデザインが見えればいいじゃん」への返答という記事を読み、太古の記憶が呼び覚まされたので書きます。元ネタはたぶんマークアップエンジニア向けだと思うので、対象じゃないかもしれませんが。 さて、僕は「コードが綺麗だ」といわれたことはなく、また、そもそも問題解決能力(なんらかの達成すべきプロジェクトや目標があり、それを達成した)以外で褒められたことはありません。コードレビューをするような環境で経験を積まなかったというのも多いに関係あるでしょう。 とはいえ、「コードが汚い」と言われたり、僕自身が他人のソースを見て「汚いコードだな」と思うことはよくあるので、そのとき感じた「うわっ汚ねえ」という気持ちの源泉についてもうちょっと掘り下げてみようと思います。 書式上の見映えは

    まずは「コードの汚さ」の定義からはじめよう | 高橋文樹.com | Web制作
  • 水村美苗の「日本語が亡びるとき」を読んだ | 高橋文樹.com | 創作, 文芸活動, 読書日記

    この投稿は 15年半 前に公開されました。いまではもう無効になった内容を含んでいるかもしれないことをご了承ください。 今のところ、僕の家には毎月文芸誌『新潮』が送られてくる。文芸誌というのは、なかなかボリュームがあり、目を通さないまま放っておいてしまうこともしばしばだけれど、今月送られてきた『新潮2008年9月号』には同世代の作家として気になる青木淳吾の「このあいだ東京でね」という中篇が発表されていたので、読んでみようと思って三軒茶屋のドトールに携えて行った。 ところが、実際に読んだのは水村美苗の「日語が亡びるとき――英語の世紀の中で」という長編評論で、これが色々と考えさせられて面白かった。掲載されていたのは編7章のうち冒頭3章で、秋には筑摩書房から発売するらしい。買おうと思う。 簡単な説明 「日語が亡びるとき」という挑発的なタイトルは、著者の水村氏のバックグラウンドによる。 ご存知

    水村美苗の「日本語が亡びるとき」を読んだ | 高橋文樹.com | 創作, 文芸活動, 読書日記
    synonymous
    synonymous 2008/11/07
    「親が娘のためにともってきた日本語の古い小説ばかり読み日本に恋いこがれたまま、なんと二十年もアメリカに居続けてしまったという経歴」これがすべてなのでしょう。
  • 1