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2011年7月14日のブックマーク (19件)

  • 賢愚和楽(みんなおなじ一つのいのち)―田村一二の世界

    「茗荷村見聞記」で紹介した田村一二先生のエッセイ集。 実はこの「賢愚和楽(みんなおなじ一つのいのち)―田村一二の世界」を先に読み、強く感動したので、「茗荷村見聞記」も読んでみました。 賢愚和楽(みんなおなじ一つのいのち)―田村一二の世界 目次 「賢愚和楽」のバックボーン(お道の暮らし方・考え方 あほうがっこう―修養科物語 教祖の教えを胸に湛えて) 「一れつきょうだい」の実現目指して(すべてを包み込む“温かい目”―絵のこと 賢者と愚者は“二つ一つ” “教える”とは“教えられる”こと 茗荷村―賢愚和楽の理想郷づくり) 私がこので特に感動したのは、「無のはたらき」というお話。 滋賀県で八百屋を営む、知的障碍がある二人の兄弟のお話でした。 彼らは、お金の計算もできず、秤も使えず、勘定はお客さんに任せ、ただ最敬礼をもって商売をしていました。 当然のように、最初は勘定を誤魔化され、赤字続きでしたが、

    賢愚和楽(みんなおなじ一つのいのち)―田村一二の世界
  • ごめんね、ありがとう。 ~産まれることができなかった赤ちゃんから届いたメッセージ~

    326(ナカムラミツル)さんのイラストエッセイ。 流産・死産を経験したママたちと胎内記憶をもつ子どもたちの話を元に綴られた4つの愛の物語。 ものすごく感動しました!! ごめんね、ありがとう。 (‾産まれることができなかった赤ちゃんから届いたメッセージ‾ 目次 第1章 天使がくれた花言葉 第2章 天使の郵便屋さん 第3章 道を作ってくれた天使 最終章 愛を翼に、思い出を勇気に… りゅうくん×326スペシャル対談 流産・死産に関係なく、子どものことを大切に想っているすべての方にオススメできる一冊です。 表紙にある、「ママをえらんで、ほんとうによかった。」という言葉。 赤ちゃんはみんな、両親を幸せにするために、自分から両親を選んで宿るそうです。 たとえお腹の中にいるのは一瞬でも、赤ちゃんは、その一瞬がとても幸せだそうです。 ということは、人間はみんな、人を幸せにしたいと思い、それが自分の幸せだと

    ごめんね、ありがとう。 ~産まれることができなかった赤ちゃんから届いたメッセージ~
  • あかちゃんからのラブレター

    「ごめんね、ありがとう。 ~産まれることができなかった赤ちゃんから届いたメッセージ~」と同様に、326(ナカムラミツル)さんの「出産」をテーマにした絵。 素敵な素敵な絵です☆ あかちゃんからのラブレター 心の底から、子ども、いのちに感謝できます。 ねえママ。 ボクはうまれたらこれまでのことを、 きっとぜんぶわすれてしまうけど… でも、これだけは、おぼえておいて。 いつもママが、がんばってくれていることを、 ボクはぜんぶしっているんだってことを。 ママをえらんでボクがうまれてきたんだったことを。 ママ、いつもみてるよ。 がんばってるの、しってるよ…。

    あかちゃんからのラブレター
  • 100歳の少年と12通の手紙

    映画化もされたので、ご存知の方も多いかと思います。 10歳で余命12日と宣告された少年・オスカー。一日を10年と考えて生きて、神さまに一日一通の手紙を書くと決めた。 こんなにも泣いたが、今まであっただろうか。 神様に出会う方法と、生きることの意味、そして、死なんて怖がらなくて良いんだってこと。自分の信仰心を再確認させてもらった気がします。 キリスト教がベースになっていますが、単なる宗教にとどまらない、真理を感じさせてくれます。 100歳の少年と12通の手紙 印象に残った部分をたっぷり引用。 P17 「いると思えば、神さまは少しずついるようになるそれをずっと続けていれば、完全にいるようになる。そうすれば、いいことがあるよ」 「でも、なにを書いたらいいの?」 「思ってることを。思ってるけどいわないことを打ち明けるんだよ。そのままにしておくと、頭にこびりついて離れなくなるからね。新しい考えが生

    100歳の少年と12通の手紙
    syuka_syuka
    syuka_syuka 2011/07/14
    本当に素晴らしい本だと思います。
  • パパとママをえらんで、ボクはうまれてきたんだよ。

    「ごめんね、ありがとう。 ~産まれることができなかった赤ちゃんから届いたメッセージ~」や「あかちゃんからのラブレターと同じく、326(ナカムラミツル)さんの「出産」をテーマにした絵。 これもまたまた、とっても素敵な絵です☆ この絵は、もちろんただ読むだけでも素敵なのですが、写真を貼ったり、書き込んだりすることで、完成する形になっています。 機会があれば、是非完成させてみて下さい。 パパとママをえらんで、ボクはうまれてきたんだよ。 目次 ママだけの宝物 違う道で、同じ場所へ。 曲げるのではなく変えるということ 「楽しい」という栄養 ママのおなかはボクのおでこ 短所という個性、個性という長所。 愛のお守り パパにしか出来ないこと ほんとうの「あいしてる」 命の重さ〔ほか〕 印象に残った部分を引用します。 僕がかつてから思っていた究極のの形として、「読んだだけじゃ完成しない」というのが

    パパとママをえらんで、ボクはうまれてきたんだよ。
  • ママへのちょっと早めのラブレター

    ドラマ「生まれる。」で登場した絵。 ドラマで登場した際には架空でしたが、ドラマ終了時に発売されました。 ママへのちょっと早めのラブレター 今日はお腹の中からママへ早めのラブレターを書きます。 ちょっと早いけど僕はママのことを愛しています。 なぜならママが僕のことをたくさん愛してくれそうだからです。 だから僕も愛してます。だから僕はママのところに来たんです。 僕はママに会えるのを楽しみにしています。 もし万が一、会う前にお別れしちゃったとしたら それは僕がママを幸せにできる自信がないからです。 そのときはもう一回ママを幸せにできるようになってママのところに来るね。 もしこのままママに会うことができたらママを全力で愛すよ。 ママはもしかしたら僕にあったらガッカリすることもあるかもしれない。 他の友達よりもかっこ悪かったり いろんなことがゆっくりだったりするかもしれない。 だけど僕は僕なりに頑

    ママへのちょっと早めのラブレター
    syuka_syuka
    syuka_syuka 2011/07/14
    すごく良い絵本☆
  • 命の授業

    スキー中の転倒事故で、頚椎(首の骨)骨折。 首から下の全身が不随となった体育教師の手記。 奇跡的に命を取り留めても、最初は感謝できなかった。 それが、だんだんと色んなことに感謝できるようになり、人生に対する考え方が変わったという。 そこには、人生の真理があるように思いました。 命の授業 そして、自分で「5つの誓い」を決めました。 【1】口は……人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう… 【2】耳は……人の言葉を最後まで聴いてあげるために使おう… 【3】目は……人のよいところを見るために使おう… 【4】手足は…人を助けるために使おう… 【5】心は……人の痛みがわかるために使おう… この事故のおかげで、今まで「当たり前」と思っていたことに、 「感謝」と「幸せ」を見つけることができました。 簡単に、一瞬で読めてしまいますが、ひとつひとつの言葉をじっくりと味わいたくなります。 <To Be F

    命の授業
  • 子どもの心のコーチング

    子育てに関するも何冊も読んできましたが、分かりやすく読みやすく、自分の子育て観を再確認できました。 個人的には「気付かなかった!」とか「知らなかった!」とか、「目からうろこだ!」といった部分はありませんでしたが、いつも考えていることに近く、子育て観に自信を持てたように思います。 実践するのはなかなか難しいんですがね。。。 「完璧な親なんていない!―カナダ生まれの子育てテキスト」やコモンセンスペアレンティングの考え方とほとんど共通しているように思います。 子どもの心のコーチング―一人で考え、一人でできる子の育て方 (PHP文庫) 目次 第1章 親の役割は何?(ハートフルコミュニケーションで目指すのは子どもの自立 親の役割は子どもを思いのままに動かすこと? ほか) 第2章 子どもに教えたい3つの力(愛すること 責任 ほか) 第3章 子どもを幸せにするしつけ(叱ることがしつけではない 怒りの自

    子どもの心のコーチング
  • 持続可能な社会をめざす8人のライフスタイル

    「大人が変われば子どもが変わる、子どもが変われば世界が変わる」 という言葉に特に惹かれました。 著者のプロフィールが、「ハンドボール界の中田英寿」って思って、引いてしまうくらい凄すぎるのですが。。。個人的には、もっと普通の人がこういう内容のを書いてくれた方が、身近に感じられるように思います。。。 このの中で紹介される方々は当然のように「凄い」人たちで、それを紹介し、語る人まで「凄い」というのは、読んでいて、「自分には到底無理だな」って印象を持ってしまったり、気が引けてしまうって、無いですか? でも、その「凄さ」の中には、「素朴さ」があって、それもまた大切な魅力ですね。 著者ご人のブログは、もがきまくっていた頃からずっと綴られています。 これを読むと、かなり身近な存在として感じられるようにも思います。 持続可能な社会をめざす8人のライフスタイル 目次 はじめに 持続可能な地球をつくる―

    持続可能な社会をめざす8人のライフスタイル
  • 「やさしい」って、どういうこと?

    仏教の考え方を元に、現代日人が思い悩みがちな、「やさしさ」について解説、助言をくれる。 「やさしい」って、どういうこと? 落ちついた気持ちになりますな。 仏教の言おうとしていることが、ごくごく簡単で、かつ、深遠なものだということも伝わってくる内容でした。 生きるために必要なものが欠けている 結局、世間のやさしさは、エゴなのです。自分に都合がよければやさしくて、都合が悪ければやさしくない、そういうことです。それだけのことなのに、私たちは「やさしいから、良い」「やさしくないから、悪い」と信じて疑ったことがありません。 なのに誰一人として、自分が求めるやさしさがエゴだと、わかっていません。なぜ自分がやさしさを求めるのか知りません。生きるために何が必要か、必要をはるかに超えて自分が何を欲しがっているのか、研究したことがありません。私とは何か、誰も何も知りません。私たちは「ただ生きている」のです

    「やさしい」って、どういうこと?
  • 必生 闘う仏教

    インド仏教の指導者、佐々井秀嶺(インド名:アーリア・ナーガルジュナ)さんの語りおろし。 この方に関するはもう何冊も読んでいますが、どれを読んでも、当に凄い。 このは、その中でも読みやすく、一番最初に読むには、これが良いかと思います。 必生 闘う仏教 (集英社新書) 目次 第1章 仏教との出会い(発心 世紀の苦悩児 ほか) 第2章 大楽金剛(ナグプール アンベードカル ほか) 第3章 闘う仏教(闘う仏教とは インド国籍を取る ほか) 第4章 必生(四十四年ぶりの帰国 高尾の緑 ほか) 闘う仏教とは "闘う"などというと日の方は、なにを物騒な、と感じるかも知れませんが、現実の世界は「瞑想」に浸る時間を許すほど安閑としてはいません。いまだに人口の八割近くが貧困層ともいわれるインドには、人間としての尊厳を踏みにじられた人がたくさんいます。 その人達が今この瞬間にも抑圧され迫害を受け、傷つけ

    必生 闘う仏教
  • To Be Freedom@読書三昧

    自分の小さな「箱」から脱出する方法 目次 第1部 「箱」という名の自己欺瞞の世界(「君には問題がある」 自分だけが気づいていないこと 何も見えない状態に陥るとき ほか) 第2部 人はどのようにして箱に入るか(箱に入っているのは、あなた一人じゃない 箱の中に押し戻されてしまうとき あなたを箱の中に追い込む「自分への裏切り」 ほか) 第3部 箱からどのようにして出るか(「素直な自分」を引き出す 「どうすれば箱の中から出られるか」 人として、相手と接する ほか) 印象に残った個所を引用 我々がこの世で受ける苦しみは、それぞれが脈絡なく発生しているようでいて、実は複雑にからみあった糸のように相互に影響しあっていることが多いのですね。 そして、その根の原因を作り出している発生源が、他ならぬ自分自身のものの見方であることが人生においては存外に多いのかもしれません。 P75 人はまず、相手の行動にでは

    To Be Freedom@読書三昧
  • 予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

    ダン アリエリー (著), Dan Ariely (著), 熊谷 淳子 (翻訳) すぐに役立つ経済学。 常に自分を反省させられる。。。めちゃくちゃ面白いです。オススメです。 直前に「ブッダとそのダンマ」を読んだせいもあるでしょうが、宗教上の様々な戒めは、人間が合理的かつ社会正義的に考えられるように生まれたものかもしれないなと思いました。宗教が意義のあるものであり続ける理由はそこにあるのかもしれませんね。 予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 目次 はじめに 一度のけががいかにわたしを不合理へと導き、ここで紹介する研究へといざなったか 1章 相対性の真相 なぜあらゆるものは――そうであってはならないものまで――相対的なのか 2章 需要と供給の誤謬 なぜ真珠の値段は――そしてあらゆるものの値段は――定まっていないのか 3章 ゼロコストのコスト なぜ何も払わないのに払

    予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」
  • 天理教用語解説「さづけ」

    天理教用語解説:さづけ とは? 天理教におけるたすけの道は、「おつとめ」と「おさづけ」の理です。 親神様は世界一れつの人間をたすけたいという親心から、「おつとめ」と共に「おさづけ」の理をお渡し下されています。 親神様の理想とされる「陽気ぐらし」の世界建設にお役立て頂きたいという「よふぼく」に、この「さづけ」の理が渡されます。 親里「ぢば」に帰り、九度親神様のお話しを聞かせて頂く「別席」を運び、何が何でも人様にたすかってもらいたいという一名一人の心に、真柱様を通して、「さづけ」の理が渡されます。 この「さづけ」の理は、末代の宝とお教え下されています。 「おさづけ」を頂くと、「よふぼく」と呼ばれるようになります。 「おさづけ」は、 あしきはらいたすけたまえ てんりおうのみこと と唱え、病む人々の患部に取り次がせて頂きます。 しかしそれは、単に見える形の儀式というものではなく、たすかってもらいた

    天理教用語解説「さづけ」
  • 天理教用語「神の立腹(かみのりっぷく)」

    天理教用語:神の立腹(かみのりっぷく) とは? おふでさきの中に、「神の立腹」という言葉がしばしば目に付きます。 「神の立腹」は、あくまでも子ども可愛い親心に徹しきった、人間を包み育てる立場のものです。 したがって、それは人間が日々感じる「立腹」とは概念の大きく違ったものであると言えます。つまり、「八つのほこり」の一つとして人間にお戒め下さる「腹立ち」と「神の立腹」とは矛盾しないのです。 あまりにも心の成人に時間がかかる子を思う、親神様の心のもどかしさが、「神の立腹」として表現されているようです。 おふでさきの中で表現される「神の立腹」とは、悪事がのかんこと、強慾をつくすこと、うそとついしよ、人をたすける心のないこと、たすけ一条の道を止めること、神の言葉を疑い取り消すことなどで現れています。 また「神の立腹」の現れる時も、一度は許す、二度は見逃す、三度は許さんというように、つもり重なって始

    天理教用語「神の立腹(かみのりっぷく)」
  • 天理教用語解説「ろくぢ」

    天理教用語解説:ろくぢ とは? 「ろくぢ」は、大和地方の方言で、「ろつくのぢにする」などと使われています。 「ろくぢ」とは、地面を平らにすることで、この言葉を用いて、親神様の思し召しを世界中一列にくまなくお広めになるという意味で使っておられます。 「おさしづ」に すつきりろくぢにふみならすで、さあ/\扉を開いて/\、一れつろくぢ、さあろくぢにふみだす (明治二〇・二・一七) 扉を開いて世界ろくぢにふみならすといふてある、扉を開いて世界ろくぢにふみならしにまわりてゐる、なれどもみなあんじてどうもならん (明治二二・三・二三) 一寸にいくやない、一寸にいくやうでは一寸の道といふ、だん/\海もこし、山もこし、ろくぢの道をつけるは一寸にはいかん (明治二六・一・二一) と仰せ下されています。 教祖(おやさま)は、百十五歳の定命を二十五年縮めてまで、世界一列を「ろくぢ」、すなわち道をお広め下されます

    天理教用語解説「ろくぢ」
  • 稿本天理教教祖伝逸話篇六四 やんわり伸ばしたら

    稿天理教教祖伝逸話篇六四 やんわり伸ばしたら ある日、泉田藤吉(註、通称熊吉)が、おぢば恋しくなって、帰らせて頂いたところ、教祖(おやさま)は、膝の上で小さな皺紙を伸ばしておられた。そして、お聞かせ下されたのには、 「こんな皺紙でも、やんわり伸ばしたら、綺麗になって、又使えるのや。何一つ要らんというものはない。」 と。お諭し頂いた泉田は、喜び勇んで大阪へかえり、又一層熱心におたすけに廻わった。しかし、道は容易につかない。心が倒れかかると、泉田は、我と我が心を励ますために水ごりを取った。厳寒の深夜、淀川に出て一っ刻程も水に浸かり、堤に上がって身体を乾かすのに、手拭を使っては功能がないと、身体が自然に乾くまで風に吹かれていた。水に浸かっている間は左程でもないが、水から出て寒い北風に吹かれて身体を乾かす時は、身を切られるように痛かった。が、我慢して三十日間程これを続けた。 又、なんでも、苦しま

    稿本天理教教祖伝逸話篇六四 やんわり伸ばしたら
  • 稿本天理教教祖伝逸話篇六三 目に見えん徳

    稿天理教教祖伝逸話篇六三 目に見えん徳 教祖(おやさま)が、ある時、山中こいそに、 「目に見える徳ほしいか、目に見えん徳ほしいか。どちらやな。」 と、仰せになった。 こいそは、「形のある物は、失うたり盗られたりしますので、目に見えん徳頂きとうございます。」 と、お答え申し上げた。 <今現在できる、自分なりの「さとり」> 山中こいそ(後の山田いゑ)先生は、山中忠七先生の妹で、現・敷島大教会の二代会長・山田伊八郎先生のとなります。 山田伊八郎先生の入信は、こいそ(いゑ)先生とのご結婚がきっかけです。 山中こいそ(後の山田いゑ)先生のお逸話については、当ブログにて、「稿天理教教祖伝逸話篇五九 まつり」を先に紹介しています。 このお逸話の「目に見える徳」と「目に見えない徳」の違いは一体なんでしょうか? まず「目に見える徳」について思いつく限り挙げてみると、金銭や土地・建物などの財産・資産、

    稿本天理教教祖伝逸話篇六三 目に見えん徳
  • 稿本天理教教祖伝逸話篇五六 ゆうべは御苦労やった

    稿天理教教祖伝逸話篇五六 ゆうべは御苦労やった 部神殿で、当番を勤めながら井筒貞彦が、板倉槌三郎に尋ねた。 「先生は、何遍も警察などに御苦労なされて、その中、ようまあ、信仰をお続けになりましたね。」 と、言うと、板倉槌三郎は、「わしは、お屋敷へ三遍目に帰って来た時、三人の巡査が来よって、丹波市分署の豚箱へ入れられた。あの時、他の人と一晩中、お道を離れようか、と相談したが、しかし、もう一回教祖(おやさま)にお会いしてからにしようと思って、お屋敷へもどって来た。すると、教祖(おやさま)が、 『ゆうべは、御苦労やったなあ。』 と、しみじみと、且つニコヤカに仰せ下された。わしは、その御一言で、これからはもう、かえって、何遍でも苦労しよう、という気になってしもうた。」 と、答えた。 これは、神殿が、未だ北礼拝場だけだった昭和六、七年頃、井筒が、板倉槌三郎から聞いた話である。 註 板倉槌三郎は、明

    稿本天理教教祖伝逸話篇五六 ゆうべは御苦労やった