タグ

2015年9月29日のブックマーク (4件)

  • サッカーから暴力を根絶するためにブラジルで編み出された秘策とは?

    プロスポーツはプレーする選手とそれを支える観客(ファン・サポーター)がそろって成立するものですが、時にふがいない姿を見せればファンから罵詈雑言が飛んでくることもあります。さらに、地域や国の威信をかけて戦うような大舞台ともなれば、サポーター同士の衝突から始まる大規模な群集事故やミスを侵した選手をファンが射殺してしまう、といったショッキングな出来事にまで発展してしまうこともあります。 そんな暴徒化する熱烈なサポーターたちに頭を悩ませたブラジルのサッカークラブが、サッカースタジアムでの暴力をなくすためにある秘策を取り、これが大きな効果を発揮して、普段はいがみ合っているライバルチームのサポーター同士が笑顔で肩を寄せ合う心温まる光景を生み出しました。 To End Soccer Riots, This Brazilian Club Forces Fans To Sit Next To Rivals

    サッカーから暴力を根絶するためにブラジルで編み出された秘策とは?
    syunsoccer
    syunsoccer 2015/09/29
    素晴らしい姿。ただ、日本でこれやると「あ、どもども」みたいな感じで畏まり過ぎて、盛り上がらない可能性大。結論、ブラジルやヨーロッパでなら有効な施策
  • 「ようこそアジアへ、ハリルホジッチ」ロシアW杯アジア二次予選 グループE 日本-シンガポール

    ハリルホジッチは前日の会見で、シンガポール戦には「罠が仕掛けられている」と語ったわけだが、まさかこんな形で嵌ってしまうとは想像もしてなかったに違いない。 試合の展望で、日は自陣で固く守る相手にクロスを上げてもそう簡単に点には繋がらないから、ゲーゲンプレッシングで対抗するのが良いのではないかと書いたんだけど、まさか両方とも機能不全になってしまうとは自分にも意外であった。 日はハリルホジッチが意図する速いサッカーを見せたのは前半と後半の最初わずか2分だけで、後は5-4-1のフォーメーションで自陣に固く壁を作るシンガポールの前に、いつもの遅攻を繰り返すのみ。 岡崎、宇佐美、香川田の4人が相手DF5人の幅にすっぽり入って平行に壁を作り、サイドも相手のSHがカバーしている上に太田も酒井もあまり高い位置を取らず、長谷部や柴崎からゆるい横パスが来て縦を切られてそこでおしまい、振り出しに戻るという

    「ようこそアジアへ、ハリルホジッチ」ロシアW杯アジア二次予選 グループE 日本-シンガポール
    syunsoccer
    syunsoccer 2015/09/29
    アジア人ってのは、変なプライドを持たないところがある。人種的にも歴史的にも虐げられている自覚があんのかな。だからこそ、なりふり構わなくなったら恐ろしい
  • 「うまい、でも決定的な違いは…」サッカー大国アルゼンチンが見たJリーグ

    8月11日。大阪の万博記念競技場に集った、両サポーターの試合後の反応は対照的であった。「Jリーグヤマザキナビスコカップ」王者のガンバ大阪と、「コパ・トタル・スダメリカーナ」王者である南米の強豪リーベル・プレートが激突した「スルガ銀行チャンピオンシップ2015」。試合は終始リーベル・プレートのペースで進み、終わってみると3対0のスコアで宇佐美貴史ら主力を欠いたガンバ大阪を完封。アルゼンチンの『LaRepubilica』紙でも「リーベルがガンバを一蹴」と報道された。試合を通して、南米サッカーのレベルの高さをまざまざと見せつけられる結果となり、お祭り騒ぎのリーベルファンと足早に帰路につくガンバファンという、両極端な構図が印象に残る大会となった。 ◆クラブワールドカップを控えた大国アルゼンチンの気度 Jリーグ勢が同大会で敗れたのは、2009年の大分トリニータ以来実に6年振り。だが、クラブ世界一を

    「うまい、でも決定的な違いは…」サッカー大国アルゼンチンが見たJリーグ
    syunsoccer
    syunsoccer 2015/09/29
    アルゼンチンから学ぶ必要はあるが、真似をする必要はない。しかし、「日本スタイル」を追及すると、サッカーに向いてない国という結論に至りそうで怖い…
  • サッカー部の同期の集まり - goisan's diary

    昨日は高校の時のサッカー部の同期の集まりがあった。タイから一時帰国するM浦君を囲もうということだ。卒業した時のメンバーは14人。そのうちのM月君は、脳腫瘍で30代の若さで亡くなっている。この日、集まったのは10人。GKのM浦君。DF組では、S井君、N木君、O江君、S木君。FWのS石君、S川君、M永君、O方君。それにHB(MF)のごいさんだ。S井君は京都、O江君は博多から遠路はるばる出てきてくれた。 高校1年生の時のメキシコオリンピックで日が銅メダルを獲得して、サッカーがようやく注目され始めるそんな時代だった。それでもJリーグの前身の日リーグの観客は1,000人にも満たない。マネージャーを募集しても汚いのは嫌とあっさり断られた。その頃の人気スポーツと言えばやはり野球、それにバスケットボールやバレーボールだった。 入部した1年生は50人近くいた。経験者は5~6人ぐらいで、ごいさんも含めてほ

    サッカー部の同期の集まり - goisan's diary
    syunsoccer
    syunsoccer 2015/09/29
    私は辛くて辞めた組です。今では本当に後悔。心から羨ましい経験です