ブックマーク / inumash.hatenadiary.org (2)

  • 今や「日本のゲットー」は珍しくない - 想像力はベッドルームと路上から

    http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20070114 もし「闇金ウシジマくん」が実写で映画化されるとしたら、そのサントラはMSCなどのアンダーグラウンドHIPHOPによって占められると思う。なぜなら、両者とも「日のゲットー」をベースとした表現だからだ。 ゲットーとは(wikipedia) 日のHIPHOP、特にスタイルとしてではなくその文化歴史も含めて真摯にリスペクトする者にとって、「ゲットーの不在」は大きな足枷になっていたとされる。 そもそも都市の再開発によるコミュニティの崩壊と公民権運動後も続く社会的差別と貧困の影響でギャングが増加し、そのギャング同士の抗争を代替わりする意味で生まれたカルチャーであり、またその成長期にはそのような荒んだ日々の生活を表現するメディア、ジャーナリズムとしての役割を持っていたのがアメリカのHIPHOPであった。 そのような背

    今や「日本のゲットー」は珍しくない - 想像力はベッドルームと路上から
    syuun
    syuun 2007/01/16
    西成や新今宮なんかもゲットーなんかねぇ
  • 音楽が「重要」である必要なんかないんじゃないか。日常に寄り添ってさえいれば。 - 想像力はベッドルームと路上から

    音楽があまり重要ではなくなってしまった‐空中キャンプ id:zoot32さんの悲しみはとっても良く分かるのだけど(と言っても僕はまだ20代なわけだが)、「音楽があまり重要でなくなる」事はそんなに不幸なことなのだろうか。 確かに「音楽がなによりすき」という大人はものすごく格好の良い存在に見える。僕も10代の頃は自分がそんな存在になることを夢見ていたように思う。 でも今ではそう思わなくなった。 僕がまともに「音楽」に目覚めたのは比較的遅くて、それは忘れもしない14歳の時、OASISに出会った瞬間だった。94年のOASISのデビューアルバムから95年の2ndアルバム、そして97年の3rdアルバムが出るまでの間は僕にとって至福の3年間だったように思う。ノエルの書く詞とメロディは「僕の為のもの」であったし、リアムの声はまさに「僕の声」そのものであった。それは音楽と自分が完全に一体化した、とても幸福で

    音楽が「重要」である必要なんかないんじゃないか。日常に寄り添ってさえいれば。 - 想像力はベッドルームと路上から
    syuun
    syuun 2007/01/11
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