特に放射線領域に関心があるわけではありませんし、誰かにお金を頂いているわけでもありませんが、「安全性」というリスク定量の話になると曖昧な議論を見ていてもやもやするので、もうちょっと取り上げていきたいと思います。私は地域住民の意向や各廃棄物処理場のキャパシティを無視して、岩手・宮城のがれきを受け入れるべきだという主張をしているのではありません。がれきの「安全性」について冷静に、正確に評価をし、その上で県としての見解を示すべきだと申し上げています。この「安全性」について、不当な評価や危険性を煽るような議論が起きてしまうと、それは福島・宮城・岩手をはじめとする東北の被災地へ不当な風評被害を招いてしまいます。受け入れ反対の立場に立たれる方は、「がれきを受け入れたくないから」安全性を認めないのではなく、安全性については受け入れに前向きだろうが後ろ向きだろうが冷静に評価して頂きたいと思います。 もちろ
ジンバブエの首都、ハラレに滞在しています。 この街は、アフリカにあるたくさんの発展途上国の首都とは違う特徴がひとつあります。アフリカの多くの国が破綻国家とか“後発”発展途上国とか言われ、ジンバブエも今でこそそのカテゴリーに入れられてしまってますが、ジンバブエ、そしてハラレは、一度はそのカテゴリーを脱し、中進国だった時代がある場所なのです。 1980年の独立以降、80年代から90年代にかけては、宗主国イギリスが残した都市基盤や行政機構がほぼそのまま残され、ヨーロッパ系市民も居残り、農業、鉱業、製造業、サービス業がバランスよく栄える国でした。周辺国が干ばつ被害に遭っていても、整った灌漑(かんがい)設備による近代農業で穀物を輸出し、“アフリカのブレッド・バスケット(パン籠)”と呼ばれていました。首都ハラレは緑深く、中心部は碁盤の目状に道路が整備され、およそ一般的に思い浮かべる“アフリカ”とは思え
フリーライターの鈴木智彦氏が『週刊ポスト』に書いた。 今までにこうした話はさんざん聞いてきて、そして見てきたものにとっても、活字となって改めて認識をする時、深い憤りと悲しみがこみあげてくる。 先日、その鈴木氏の取材を受けたが、彼は実にバイタリティーにあふれた人物だ。 寸時を惜しんで真実を探し求める貪欲さと、ここだと狙い定める鋭さには身震いを覚えるほどだ。 いま、福島の人間にとって、こちらからみやげ物を送ったり届けたりする時、たいへんな苦痛を強いられることが多い。 食品だけに限らず、「ここから物を出すな」という無言の重圧を大なり小なり感じる県民は多いはずだ。それを被害妄想と言っていただくのはありがたいが、この立場にたたなければ解らない。 差別はいつも受け手側に立たないと理解できない。 する側がいくら言葉を弄そうとも差別やいじめを受ける人間の苦しみは想像でしかないのだ。 福島では「これは大丈夫
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