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  • 書評空間 : 小説家・朱野帰子の書評ブログ

    『サンリオデイズ 〈いちご新聞篇〉 - sweet design memories 『いちご新聞』から生まれたキャラクターのヒミツがいっぱい』竹村真奈(ビー・エヌ・エヌ新社) →紀伊國屋ウェブストアで購入 70~80's生まれ女子の皆さん。心の準備はいいですか? まず表紙を見てください。雲の泡風呂で遊ぶキキとララ。ふたりの髪の色が今と違いますね。キキは茶色、ララは黄色です。このふたり、79年まではこの色だったのです。私は79年生まれですが、それでも記憶の片隅にこの色が残っています。そうです。この表紙をめくった瞬間から私たちは、全身の「かわいい」成分がほぼサンリオ粒子でできあがっていた、あの頃の自分に戻ってしまうのです。思い出のふたが開いてしまったらもう止まりません。遠い少女時代へ一気にタイムスリップです。 覚えていますか。サンリオのお店に足を踏み入れた瞬間を。私が小学校の頃は商品を買うとレ

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    t-kawase 2012/11/28
    これはいい書評(笑)。僕が公費で買ったら「先生、文学部ですよね?」と会計処理で言われちゃうかも。
  • 『切りとれ、あの祈る手を――<本>と<革命>をめぐる五つの夜話』佐々木中(河出書房新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「情報と文学の関係」 著者の佐々木中氏は『夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル』(2008年)という大部の思想書で、注目を集めた。書でも特にルジャンドルが重要な導きの糸となっているものの、主題はあくまで「文学」に据えられている。 では、佐々木氏の文学観はどのあたりにあるのか。彼の語りは一種憑依型で、独特のリズムがあるが、言わんとすることは比較的単純である。すなわち、無味乾燥な「情報」の摂取にまで切り詰められた読書行為を、徹底して身体的で崇高なものとして捉え返すこと、これである。佐々木氏にとって、それはほとんど、読めないテクスト(聖典)を読み、しかも書き換えるという逆説的行為に近い。ゆえに、文盲であったムハンマド、読むことを「祈りであり瞑想であり試練である」といったルターが高く評価される。あるいは、ダンスや音楽を通じた「革命」が志される。 逆に、書では、「情報

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    t-kawase 2010/12/04
    佐々木君の本を手に取る前に、こういう書評に出会ってしまった。これは幸か不幸か。
  • 『東大駒場学派物語』小谷野敦著(新書館) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「もてない学者」 小谷野敦は毀誉褒貶の激しい人である。このは、小谷野がその大学院生活を送った東京大学大学院比較文学比較文化、通称、「東大駒場学派」(筆者には、「東大比文」の名称のほうがなじみ深い)の歴史を語ったものだが、この大学院に所属した人たちのたくさんのゴシップが散りばめられている。このを読んで、傷ついたり、腹を立てたり、顔をしかめたりする人たちもいるだろう。小谷野さん(と「さん」付けにしたのは、小谷野さんを筆者は直接に知っているからである)は、このを書くことで、また敵を増やしてしまったのではないかな、と思った。 「あとがき」にはこんなことも書いてある。「駒場学派」出身者で、著書の数で最も多いのは四方田犬彦で、(小谷野の数え方では)合計54冊、2位はアメリカ研究の亀井俊介の36冊、そして3位は書で35冊目を書いたことになる自分であるが、これほどの著書があり

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    t-kawase 2009/05/13
    良い書評。猫猫先生の根っこには「片思い(過剰な思い入れとも言う)」があるんだよね。そこが好きなんだが(友人にはなりたくないけど)。
  • 『差別論―偏見理論批判―』佐藤 裕(明石書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「理論社会学の醍醐味」 今回は、私と富山大学で一緒に仕事をしている佐藤裕さんの研究をご紹介します。 佐藤さんの研究対象は差別です。ただし、ここでいう「差別」は、一般的にイメージされやすいものと必ずしも一致しません。 私たちが差別という言葉でイメージしやすいのは、社会的カテゴリーによる不当に異なった扱いを指すでしょう。例えば「男性と女性は均しい扱いを受けるべきなのにそうなっていない。これは差別だ」というふうにです(これを佐藤さんは「差異モデル」と呼びます)。このとき、差別をなくす方法はというと、告発を行い、権利をとりもどす、ということになるでしょう(これを佐藤さんは「人権論」アプローチと呼びます)。 *「社会的カテゴリー」は、「集団」に近い概念ですが、例えば「女性」のように実体的な社会集団でないものも含みます。 しかし、「社会的カテゴリーによる異なった扱い」を具体的に画

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    t-kawase 2009/02/27
    興味深い。注文するか。(追記)ジュンク堂で発見。買った。
  • 東京大学(教育社会学)・本田由紀の書評ブログ?:?『ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか』樫村愛子(光文社)

    →紀伊國屋書店で購入 「寄る辺のなさ」を埋め合わせるものは何か いま、人々は日々を生きる中で、「寄る辺のなさ」の感覚を強めている。この「寄る辺のなさ」(=流動化・不安定化=「プレカリテ」)の根には、生活を成り立たせる物質的基盤(雇用や収入)が揺らいでいるという現状がある。でも、この「寄る辺のなさ」を、そういった物質的な側面から捉えるだけでは不十分だ。人間の存在のあり方そのものにかかわる精神的な面での「寄る辺のなさ」を解読し、分厚く正確に記述する営みがもっと必要だ。 日では、ごく最近まで、あるいは現在も、社会の中で特に「寄る辺のない」状態にある人々に対して、「それはあいつらが駄目な奴らだからだ」という語り方がされることが多い。たとえば「ニート」もそうだった。「ニート」は意欲や自信がなく一歩を踏み出せない「駄目な奴ら」として語られてきた。私はそういう「ニート」バッシングに抗うために、『「ニー

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    t-kawase 2007/10/15
    本田由紀先生、ネットでの活動復活の第一歩(?)
  • 『開かれ--人間と動物』ジョルジョ・アガンベン(平凡社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「人類学的機械の産物」 うーん、うまいなぁ。出だしの三つの章で、一三世紀のヘブライ聖書の挿絵に描かれた天国で事する聖人たち(動物の顔が描かれている)、動物の頭部をもつアルコンたちを描いたグノーシス派に衝撃をうけたバタイユとアセファル、人間がやがて動物になると「予言」したコジェーブと、コジェーブへのバタイユの反論という三つの補助線をサッと素描して、人間と動物の錯綜した関係を描き出す手際はみごととしか言いようがない。 そしてそこからアリストテレスの『デ・アニマ』に溯り、アリストテレスの生命の定義に注目する。アリストテレスは生命とは何かを定義せずに、「栄養の機能だけを分離」(p.28)するだけで、栄養の摂取(植物)、感覚作用(動物)、思考能力(人間)を再分節するだけなのだ。そして人間が植物人間となることがあることからも明らかなように、人間のうちにもこの三つの能力はそのまま

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    t-kawase 2007/08/30
    これも今度購入予定に入れよう。
  • 『中世とは何か』J.ル=ゴフ(藤原書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「中世に魅せられて」 中世史家ジャック・ル=ゴフの「専門家以外の一般読者をも対象とする……ほぼ初めての邦訳書」(p.306, 訳者解説)であるが、インタビュー形式で、ル=ゴフが自分のそれまでの生涯を振り返りながら、仕事について語るものとなっている。この分野になじみのない読者には近付きやすいかもしれないが、タイトルで言うような「中世とは何か」が、そのまま語られているわけではないので注意されたい。 プルーストにならった「中世を求めて」の原題のほうが、著者が中世に魅惑されて、中世史家になり、研究を続けてきた歴史を物語る書のタイトルとしてはふさわしかったかもしれない。ル=ゴフが中世の研究を始めた頃は、中世は暗黒の世界であるか、理想的な世界であるかのどちからであった。最初は著者はそうした現状に直面して、中世の研究を諦めかけたという。しかしアナール派の歴史家と出会って、「新しい

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    t-kawase 2007/08/18
    ル=ゴフの本、面白そうだ。
  • 『近代日本と戦死者祭祀』今井昭彦(東洋書林) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。 研究蓄積の少ない東南アジア史のを読んで、連続してため息が出ただけに、書は安心して読むことができた。「をなぜ読むのか」と聞かれたら、いまのわたしは「書くために読む」と答えるだろう。その「書くために読む」というのも、自分の研究に直接役立つものもあれば、直接ではないが自分の研究に「付加価値」をつけるために必要な知識や思考力を与えてくれるものもある。後者の場合、研究蓄積がある分野のほうが、より洗練された研究成果を学べることが多い。書も、そのような1冊だった。 まず、構成がしっかりしている。「序章 研究史と方法・課題」で「一 戦死者祭祀研究史」と「二 研究の方法と課題」がおさえられ、「終章 結語」で「「まとめ」と今後の研究に向けて」が書

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  • 『八月十五日の神話-終戦記念日のメディア学』佐藤卓己(ちくま新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。 今日、日人の多くが、「終戦記念日はいつか?」と問われれば、「8月15日」と答える。著者も、「あとがき」で「八月一五日に戦争が終わったわけではないと気づいたのは、それほど前のことではない」と正直に告白している。では、ほんとうの「終戦記念日」はいつで、いつから8月15日が「終戦記念日」になったのだろうか。著者は、この問いに答えるために、「「玉音写真」、新聞の終戦報道、お盆のラジオ放送、歴史教科書の終戦記述などを取り上げ、「終戦」の記憶がいかにして創られていったかを」、メディアの検証を通じて明らかにしている。 書によると、終戦の「世界標準」は、「ポツダム宣言を受諾した八月一四日か、降伏文書に調印した九月二日」である」。しかし、ソ連や中国

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    t-kawase 2006/07/05
    参考に。
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