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2007年9月26日のブックマーク (3件)

  • 黙って引っ込んでいるべき素人 - la_causette

    最近ネットでは、「素人は黙って引っ込んでいろというのか」云々という言い回しが流行っているようです。これにより、自分の主張を受け入れない専門家は、専門家という地位を笠に着た驕り高ぶった人間であるとのレッテルを貼ろうという魂胆が見え隠れします。 しかし、専門家の具体的な仕事に関しては、顧客等の人生ないし生命等が係っていたりしますので、専門家が素人の無責任な意見など一顧だにしないというのは当然のことだと思います。専門家はそのことに何らの負い目を感ずる必要はありません。「素人は黙って引っ込んでいろというのか」という言い方に対しては、「そうだ」と言ってしまっても構いませんし、「専門家が思わず耳を傾けてしまうような、超一流の素人になってから、そういうことは言ってください」と言ってしまっても構わないのではないかと思います。 また、最近は、刑事弁護人が、被害者遺族や無責任な一般大衆の感情を傷つけるような弁

    黙って引っ込んでいるべき素人 - la_causette
    t-murachi
    t-murachi 2007/09/26
    拙blogではどもです。/はてぶでは極論に対する反発の構図となっているが、おいらはこれは程度問題だと思う。個人的には意見はありがたいが実際どれほど興味・関心を抱いてくれてるの? と言いたくなる素人も沢山いると
  • 自分探しの起源 - 雑種路線でいこう

    仮に「受験勉強」が若者の個人主義を涵養するならば、日の戦後成長はなかったのではないか。問題は年金と一緒でサラリーマンでいることの保険料が世代によって著しく不平等だから、若者は燃え尽きる前に馬鹿馬鹿しくなって降りてしまうのである。今の会社も日社会も、若者が安定を期待してコミットする対象としては理不尽かつ泥舟に過ぎるのだ。まあ泥舟に乗っていれば団塊世代の坊ちゃんだって政権を投げ出して病院に引きこもるご時世だし、人間なんてそうそう簡単に質的に変わるはずがなく、違うのは時代とか空気って奴なのだろう。 「受益者が私ひとり」であるような仕事を「やりがいのある仕事」と呼ぶ不思議な労働観が生まれたのにはもちろん理由がある。それは「受験勉強」の経験が涵養したものである。 (略) 私たちが労働するのは自己実現のためでも、適正な評価を得るためでも、クリエイティヴであるためでもない、生き延びるためである。成

    自分探しの起源 - 雑種路線でいこう
  • この夏最後の出稼ぎツアー - 内田樹の研究室

    「県立学校2年次校長学校経営研修講座」の講師に招かれて、兵庫県立教育研修所というところに出かける。 御影から六甲山に登って、トンネルで裏へ抜けて、中国道を20分ほど走って滝野社ICで降りて、10分くらいのところにある。 県立高校の校長先生たち相手の研修である。 今年の夏はずいぶんいろいろなところで学校の先生たちを相手の講演をやった。 舞子での兵庫県私立教員研修会、兵庫県教組宝塚支部の8・15集会、大阪府教組の研修会、神戸海星での兵庫県の学校図書館の会議、それから今回。 お相手も中堅教員、教組組合員、司書、校長先生と多種多様である。 原則として教育現場からお声がかかったときには必ず行くようにしている。 メディアで発言する知識人の中に、教育現場の先生たちを応援する立場から発言する人がぜんぜんいないからである。 教育現場の実情をほとんど知らない人たちでも、とりあえず教員の悪口さえ言っていれば、そ

    t-murachi
    t-murachi 2007/09/26
    この人の労働観は、周囲の人間が自分より優れていないように見えるケースを前提としている。おいらが彼の労働観を好きになれないのは、その前提にある失礼に彼自身が無自覚だからなのかも知れない。