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ブックマーク / diary.lylyco.com (5)

  • 「やる気」に応えられない人が「やる気」を問うな|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    当にやる気あるの?」というのは、やる気に応じられる人にだけ許される問いだろう。 ・派遣村:「当に働こうとしている人か」と坂総務政務官 - 毎日jp(毎日新聞) 実際、派遣村にどれだけ「当に働こうとしている人」が集まったのかは知らない。ただ、坂総務政務官は彼らが全員気だったなら何か手を打てたというんだろうか。気に応えるだけの職を全員分用意できるとでもいうんだろうか。それができないなら気を問うことに意味はない。にもかかわらず「当にまじめに働こうとしている人たちが日比谷公園に集まってきているのかという気もした」などというのは、言外に「彼らが救われないのは当に働こうとしていないからだ」とか「気で働こうとしない人は救われてなくても仕方ない」なんて思いを含んではいないか。 政治の役割のひとつは「自然な状態の不具合を不自然に調整すること」だろう。それは例えば、放っておいたらダメに

    t-murachi
    t-murachi 2009/01/06
    「或いは、自分は本気でやってきたから大丈夫だと思いたいだけなのだろうか。」<そうだろうね。ダメなときは何やってもダメ、なるようにしかならん、っちゅー挫折の経験が乏しいお子様かぼんぼんなんだよ、きっと。
  • そして、人は社会のために子供を産む|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    いまや社会は人間の裏方ではなく、人間の方こそが社会の裏方なのではないか。 ・子供を生むとか生まないとか - チョコっとラブ的なにか 人間関係も恋愛結婚も出産も、すべてに意味がないと通らない。そんな窮屈さを感じることがある。好きになった。欲情した。一緒になった。子供ができた。作ったふたりで子供を育てる。好きになったんだからそれが自然じゃないか。一緒になって子供作るのが普通だろ。そんな物言いが通用しなくなった。普通や当たり前なんかない。それが正しい大人の態度になった。結婚なんかして何の意味があるんだよ。子供を産むことの意味がわかってるのか。どちらも、当たり前では済まされない。原因の一端は、ぼくたちの行動が「制度」に取り込まれたことにあるのかもしれない。 たとえば、誰かと一緒に暮らすことと結婚することはイクォールではない。男女が一緒になり子をなし生活の最小単位としての家族を構築する。現在の婚姻

    t-murachi
    t-murachi 2008/12/10
    今に始まった話じゃないような気もするけど…。倫理観や僻み感情とも絡む話で、制度は体よく「根拠」として用いられる。でも、だから制度の方をもっとどうにかしよう、ってなる人は少ないような気もするのよね…。
  • 「やらない」いい訳と責任と罪|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    何かを「やらない」ことに理由は必要だろうか。 ・寄付の依頼が来た - レジデント初期研修用資料 ・「あなたのやり方が悪いので私は動員されません」という責任回避 - E.L.H. Electric Lover Hinagiku 必要なときもあるだろう。たとえば、しなきゃいけないことをしないとき。或いは、人の勧めや誘いを断るのに相手を気遣うとき。つまり、「あえてやらない」ことを選択するとき、といってもいい。そんなときは、理由があった方が座りがいい。けれども、来、何かをやらないことは、選択ですらないことの方が多い。ぼくが生八橋をべないことに理由はない。強いていうなら、べようと思ったことがないからだ。こんな理由は理由ですらない。つまり、ぼくがインド旅行をしないことにも、シシカバブを作らないことにも、セックス相手を亀甲縛りにしないことにも、特段の理由はない。 けれども、微妙なケースというのはあ

    t-murachi
    t-murachi 2008/12/05
    寄付かぁ。寄付なぁ。募金活動については言いたいことが無いわけでは無いけど、この文脈だと何だか言い出しにくい気もするなぁ…。
  • 恵まれた精神の無邪気が切り捨てかねない大切なもの|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    率直に生きるというのはとても難しい。 ・発言を額面どおりに受け取る - タケルンバ卿日記 ・「相手にこう思われたらどうしよう」を、捨てよう。 - GoTheDistance #ふたつ目のリンク先がコメント欄になっていたため修正 確かに「社交辞令が効かない会」は魅力的だ。たとえば、日常が社交辞令や駆け引きや婉曲表現に満ち満ちていて疲れる。そんな風に感じるとき、避難場所として「社交辞令が効かない会」の会員同士で集まって、そんな面倒なスキルを必要としないコミュニケーションを楽しむ。これはなかなかに心惹かれるものがある。けれども、それは前提を共有しているからこそ得られる心の平穏だともいえる。前提を共有しない社会でこの方法を実践するには、相当の覚悟と根性が必要だろう。学校や会社といった簡単には逃げられない共同体内で、自ら居心地を悪くする可能性も低くない。 過剰な空気読みや、それを半ば強制するような無

    t-murachi
    t-murachi 2008/07/26
    そうだね。 / id:y_arim さめ: 「実の親に「お前を殺して自分も死ぬ」と言われたらどーすりゃいい。」<それ、おいらもあった。包丁突きつけられて。泣き叫んで許しを請うことしかできなかった。中学生の頃の出来事。
  • 他人の弱さを不快に感じる人の弱さ|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    匿名ダイアリーに自ら不寛容を暴露する記事をよく見かける。 ・高校時代の友達(だった人)の話(※誤ってはてブにリンクしていたため修正) ・無い内定の友人を見下してしまう自分が卑しい ひとつ目のリンク先は他を否定する話、ふたつ目は他を否定する自分を否定する(かに見える)話である。自分はそれなりに努力をしてそれなりの結果を出した。友人(?)はさしたる努力もせずに怠惰と自己正当化の海に溺れるばかりである。どちらもそういう視点で書かれたエントリーに見える。まあ、若さ故の不寛容といえばそれまでなのだけれど、今時の若い人たちがこうした旧弊な価値観をしっかりと受け継ぎ、かつナイーブに反応してみせていることに驚く。これだけネット上に様々な人生観が溢れていても、自分の人生を相対化するのは難しいらしい。 めでたく被雇用者への道を歩み始めた増田氏の気持ちや深慮遠謀を友人らが解しないのと同様に、増田氏だって被雇用者

    t-murachi
    t-murachi 2008/06/24
    ははは厳しいな、あなたは不寛容な心理に不寛容だよ。メタ不寛容。悪いとは書いてない? でも不快なんだろ? おいらもあんたの文章は不快だ。簡単に人を弱虫扱いするんじゃねえよ。
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