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2016年5月23日のブックマーク (2件)

  • なぜ数学を勉強するのか?

    2006/07/17 改訂; 2004/09/18 西田顕郎 人間は進んで苦しい体験をしようとはしない 子供に「好きなものを好きなだけべろ」と言えばチョコレートやカレーライスばかりをえんえんとべ続けて結局は健康な成長ができないのと同様に、学生さんに「自主的に勉強せよ」と言えば、歯ごたえの無い概説・評論的なことばかり選んでしまい、結局は知的に脆弱なまま卒業してしまう人が多いようです。別に「今の学生さんは子供だ」というわけではなく、人間とはそういうものです。よほど確固とした動機がなければ、苦しい道を進んで選ぶのは大変なことなのです。 しかしそれでは学生さんの将来・日の将来・人類の将来が不安であるわけで、やはり大学では、学生さんに、厚みのある知的経験・知的成長をしてもらわねばなりません。 大学での勉強は無駄なのか では学生さんは大学で何をどう勉強するのが良いのか。 大学で学ぶことは、大学を

    t1mvverr
    t1mvverr 2016/05/23
    「辛いけど何でも使える」ものより、「楽でスグ使える」ものを選んでしまうんだよな
  • 「笑い」と「嗤い」は全然違う! : 社会とテレビメディア 不惑のコラム

    「笑い」と「嗤い」は違うという、あるブログの記事を読みました。 とても同感なのですが、もうひとつ推し進めて、 さらに私なりの見解を述べたいと思います。 すでにネットは「笑い」よりも、「嗤い」が蔓延している社会です。 この流れが最近のテレビにも急速に浸透してきております。 かつての、コントや漫才、コメディ映画は「笑い」でした。 もちろん、それが笑えようが、笑えまいが、 レベルが高かろうが、低かろうが、目指しているのは純粋に、れっきとした「笑い」だったと思います。 でも、最近、この手の練り上げたお笑い番組はほとんどなくなりました。 コントや漫才など計算されたネタのお笑いを常に提供するには、なんせ時間と労力とコストが必要です。 だから、それらをすべてはしょって、ノリと勢いと反射神経で、パパッと作れてしまうのが、最近のひな壇形式のバラエティ番組です。 私はすでに、この手の番組を、「お笑い番組」と呼

    「笑い」と「嗤い」は全然違う! : 社会とテレビメディア 不惑のコラム
    t1mvverr
    t1mvverr 2016/05/23
    笑いは「これだ!」って感じるけど、嗤いは「なるほどね」って感じる。