ことしは「戦後60年」だった。わたしは1960年の生まれだから、日本の敗戦から15年後に生まれたことになる。子どものころを思い返せば、もの心がついたころには家にテレビがあり、小学校のころには、我が家にはなかったけれども大抵の家には自家用車もあり、飢えた経験もなかった。1970年は大阪万博が今も強烈に印象に残る。「70年安保」や「よど号ハイジャック事件」があって、世相も恐らくは激動していたのだろうが、「高度成長」に首までどっぷりつかっていた子どもたちには、漠然と「世の中は明るい」という気持ちしかなかったように思う。中学、高校と進んでも、自分の未来と「さて何になろうか」と自分の可能性を信じることができていた。ちなみに大学受験では、その後の「センター試験」となる「共通一次試験」の第一期生となった。 長じてこの20数年間は、新聞記者という職に就いてきた。この1年間は、初めてその立場を離れた1年だっ