独裁者の末路は例外なく悲惨なものである.1989年の東欧民主化革命では,6月にポーランドで自由選挙が実施され,レフ・ワレサ率いる独立自主管理労働組合「連帯」が大勝利して政権を握った.8月には「ピクニック事件」と呼ばれる東ドイツ市民が大挙して亡命するという事件が発生し,10月にはハンガリー共産党が消滅した.11月9日には「ベルリンの壁」が市民の手によって倒され,12月までに相次いで東ドイツ,ブルガリア,チェコスロヴァキアの共産党政権が崩壊した.当時党書記長と国軍最高司令官を兼任する絶対権力者チャウシェスク大統領の独裁体制下にあって民主化とは無縁と思われたルーマニアでも,12月半ばには「ティミショアラの暴動」が発生し軍隊が鎮圧に出動,1000人とも言われる死傷者を出した. ←ご協力お願いします! ティミショアラのトケシュ牧師は北部に強制退去させられる前に,ルーマニアの貧困とマジャール系住民(ハ