今から25年ほど前に遡るが、フィレンツェで生んだ子供を連れて日本へ戻ってきた直後からしばらく、札幌のローカルテレビ局のワイド番組でイタリア料理のコーナーを担当していたことがある。当時はまだ漫画だけで生計をたてていくのが難しく、幼い子供を育てることを踏まえると仕事をあれこれ選り好んでいる場合ではなかった。学生時代のチリ紙交換に始まり、イタリアに渡ってからの道端での似顔絵描きに高級宝飾店の店員、そして貿易商の通訳から店の経営まで実に様々な職種を手掛けてきたおかげで、職業に対する私の意識は開かれている。どんな仕事でも何でも来い、という気構えでいた。がしかし、まさかテレビで自分の料理番組のコーナーを持つことになるとは想像もしていなかった。 私が日本に戻ってきた1990年代後半は既にバブルも終わっていたが、イタリアで11年間世知辛い暮らしを続けてきた私の目に映る日本はそれほど景気の悪いようにも見えな