1856(安政3)年、神谷兵助の六男として三河国幡豆郡松木島村(現:愛知県西尾市一色町)に生まれた“神谷傳兵衛(かみやでんべえ)”(幼名:松太郎)。豪農の家に生まれながらも家が没落したため、幼くして働きに出ました。 転々と奉公する中で、酒を商いすることに興味を持ったのは、わずか8歳の時だったと言います。傳兵衛の姉の嫁ぎ先である尾張国知多地方(現:愛知県知多郡阿久比町)は古来から銘酒の産地として知られており、酒造家はみな裕福で豊かな生活をしていました。これを見た傳兵衛は、小さな胸に酒造家としての夢を膨らませました。 第一章洋酒との出会い 年表で見る 1.ワインとの出会い その傳兵衛が特に洋酒に興味を持ったのは、横浜の外国人居留地でフランス人が経営するフレッレ商会という洋酒醸造所で働いていた1873(明治6)年17歳の時。 持ち前の誠実な性格で経営者に可愛がられていた傳兵衛は、ある日原因不明の