2005年9月20日のブックマーク (5件)

  • Kawakita on the Web - 『戦後60年』刊行記念 上野昂志+大塚英志トークセッション 参加

    青山ブックセンターで開催された『戦後60年』刊行記念の上野昂志氏×大塚英志氏のトークセッションに参加してまいりました。批評とか文壇とかマンガとか宮崎駿監督など様々なテーマについて語られましたが、僕が印象的だったことをまとめてみました。 ※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。 『戦後60年』刊行の意味と歴史意識について 事件・出来事などを一つの時間軸に照らし合わせて、その時代の中でどのような評価を受けどのような影響を与えたのかというように読んでいくような作業がなされてなく、単なる「情報」として読み解かれている。 80年代にはまだ戦後からの時間軸が明確にみなに意識されていたので、逆に記号論やシステム論など非歴史的・脱歴史的な言葉を安心してカウンターとして使用できた。それが90年代以降カウンターにならなくなってきた。 今

    Kawakita on the Web - 『戦後60年』刊行記念 上野昂志+大塚英志トークセッション 参加
    t_kei
    t_kei 2005/09/20
    「言葉の多義性が失われている。」
  • http://www5a.biglobe.ne.jp/~NKSUCKS/1940nen.html

    t_kei
    t_kei 2005/09/20
    http://d.hatena.ne.jp/kenkido/20050919」と合わせて、考える材料としたい。
  • 名前はまだ無い: 「ニート」論の批判的検討(その2)

    4 結論  Aさんへのインタビューで重要なのは次の点である。すなわち、ひきこもってしまったことによって、換言すれば学卒即就職という「スムーズな移行」(小杉編 2005)からドロップアウトしてしまことによって自分が過剰なまでに準拠してきた価値を初めて意識化し、問うようになったのだが(*8) 、それでもなお、そうした価値へのこだわりを持ち続けているということ。このことは、「ニート」論では「ひきこもり」の全てを包含しえない、という報告の主張と直接的につながる。  新谷(2005)は、青年に対して働きかけを行なう側は何らかの「望ましさ」を想定しており、それを共有できない層にとってその働きかけは有効性を持ちにくいことを指摘している。だが、「ひきこもり」の当事者たちへ働きかける際の難しさは、彼らが「ニート」論において想定されている「望ましさ」に意味を見出せないことにあるのではない。むしろ、彼らは「働

    t_kei
    t_kei 2005/09/20
    働くことへの「価値観を問う営みを保証することは」「「今のこの社会」のあり方を問い直す契機にもなる」
  • 名前はまだ無い: 「ニート」論の批判的検討(その1)

    1 問題の所在  近年「ひきこもり」に関わる人々の間では、当事者の高年齢化(伊藤ほか 2003)(斎藤監修 2004)や対人関係獲得後の閉塞状況(石川 2003b)を背景に、就労に対する関心が高まっている。2000年以降、「ひきこもり」論における重点はコミュニケーションの問題から就労の問題へと移行したことが指摘されているが(塩倉 2002)(*1) 、こうした中で「ニート」は「ひきこもり」を回収する形で登場してきたような印象を受ける(*2) 。  「ニート」は「学校に行かず、職業訓練も受けず、就職活動もしない状態」なので、「ひきこもり」も当然そこに含まれることになる(*3) 。また、「ニート」に関する諸議論でも「ひきこもり」はその一部として位置づけられている(*4) 。しかし、果たして「ひきこもり」を「ニート」に回収することは可能なのだろうか。  ここで着目したいのは、両者に関する議論の中

    t_kei
    t_kei 2005/09/20
    働くことが当然であるという「そうした前提がまかり通っている社会のあり方までを問おうとする姿勢がある」
  • Ajax を使った手書き文字認識

    Ajax を 使った手書き文字認識です。下のキャンバスにマウスで文字を描いてみてください。 デモ

    t_kei
    t_kei 2005/09/20
    純粋に、これはすごい。