去る09年7月16日のトムラウシ山での遭難事故で亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。 はじめてご訪問の方はこちら(自己紹介および投稿リスト等)をご覧ください。
去る09年7月16日のトムラウシ山での遭難事故で亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。 はじめてご訪問の方はこちら(自己紹介および投稿リスト等)をご覧ください。
今日は私にとって災難の総仕上げというか、ひどい日だった。 でも、棟の代表も来月で終わり、しばらく当番は回ってこない。 久しぶりに図書館に行き、手にとった「週刊金曜日」に、辺見庸の連載があった。 タイトルは、自分自身への審問 脳出血で倒れてその後どうしているのかなと思ったら、ガンまで見つかったとは。 文章を読みながら切なく悲しい気持ちになったけど、辺見庸自身が審問しているように、なるべくしてなった、落ち着くべきところに落ち着いたという気がしないわけでもない。 辺見庸に自殺は似合わない。でもそう言葉にするのが怖い。 よく友人と「生きていても仕方ないけど、死ねないわね」と、自らを笑う。そういいながら筋力トレーニングをやり、身体によい食べ物を食べる。われら凡人はこんなところだ。 夫が病に倒れて動けなくなると、生き生きして介護に献身する妻がいる。この夫婦は敬虔なキリスト者だ。 活動的で、しかも女性に
コミュニケーション http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/31588.html鄭容疑者、長女の教育 気に掛け──「習い事、何がいいか」(2月18日)日経ネット関西版 今回の事件の報道のなかで気になった点。あ、ちなみに、事件の分析とかじゃないです。直接関係はありません。 日本語には中国語なまりがあった。保護者の1人の男性(45)は「話すより聞くのが苦手。長い話になると返事ができず、コミュニケーションが取れないことがあった」。母親同士の輪に入れずにいることもあったという。(強調引用者) 1.言語能力や共有している知識が欠けている人がいる ↓2.コミュニケーションがとれない ↓3.「なじめない」空気をつくる この記事(やその他の報道)は、上記のような構造を暗示しているようにおもう。つまりコミュニケーションの失敗が事件の遠因になった
■私は子どもがいないのでこれくらいしか書けないが 先日滋賀で痛ましい事件があったが、音羽の事件を思い出した。 今度の事件も、母親が周囲になじめていなかった、精神的に不安定だった、というようなことが原因のひとつとして挙げられている。音羽のときも「心のぶつかりあい」とか言って、思い込みの強い加害者が思いつめてやってしまった、といった感じの犯罪に見えた。 原因はたいてい親の人間関係や気持ちなのに、どうして子どもにその矛先が向かってしまうのか?というのがこういう犯罪の「うんざり」させられるところだ。親同士で殺しあう(これもぞっとしないが)んじゃなくて子どもに… ただ、単純に加害者叩きをする気にもなれない。自分は嫌われているとか孤独だとかいった被害妄想的な気分になること、それで卑屈な気分になりつつ、その実周囲や相手のせいにしていることは私もあるからだ。もっと若い頃はそっちのほうがデフォルトだった。
絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…
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