《フツ至上主義》 フツとツチの和解を掲げるハビャリマナ時代には目立たなかったものの、ルワンダ政治の底流として常に存在していたもの。それは、フツのみがルワンダの真の国民だとするフツ至上主義だ。フツ至上主義者──やがてフツ・パワー、あるいは単にパワーと呼称されるようになる──にとって、RPFの侵攻は自らの主張の正しさの証明であると同時に、フツ至上主義のイデオロギーが再び表舞台に立つ好機だった。 RPFの侵攻と前後して、過去の人種に基づいた言説が復活した。ツチはハム族あるいはナイロート系(ナイル川に由来する名前)であり、バンツー系のフツとは根本的に異なる。バンツー系のフツこそが、中央アフリカの正当な継承者であり、ルワンダにツチの居場所はない。ルワンダの国民として認められるのはフツだけである……。 こうした言説は、かつての人種思想の単なる回帰ではなく、政治的武器だった。RPFの脅威は、軍事的である
独立直後のルワンダに話を戻そう。 フツ革命後、ツチ政治家は大きく2つの勢力に分かれた。フツとの協調を目指す宥和派と、かつての体制を取り戻そうとする復古派である。 宥和派のツチは、PERMEHUTUの独裁傾向に業を煮やしたフツ政党と連合を組み、独立時の政権に参加できた。しかし、この危うい協同体制は、復古派のツチの活動のあおりを受けて崩壊する。 ツチの復古派は国外脱出し、ウガンダやブルンディから散発的な攻撃を繰り返した。反乱組織はルワンダ国内の支援が得られないため、ゲリラというよりテロ的な攻撃に終始する。この反乱組織はフツから「ゴキブリ」と呼ばれ、攻撃があるたびに国内のツチが報復の対象となった。 1963年12月、状況を打開できないことに業を煮やした反乱組織は、ブルンディから決死の攻勢を仕掛けた。首都キガリまで20kmのところまで迫ったが、軍備の不足は否めず、結局ルワンダ軍に撃退された。これで
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