moja🧚♀️ @moja99758134 実は先日東京で偶然同小、同中だった同級生の女の子にばったり会った。中学では常にトップ10(200人中)に入り、岡崎高校(県内トップ校)卒業後は「とにかく陰湿で閉塞感のある西三河からは出たい」と東京の大学に進学→そのまま都庁に就職、実家も和歌山に移転、西三河には成人式以降戻ってないと→ x.com/yuuraku/status…
そのじいさんが亡くなった。 昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。 安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。 そんな調子で車を借りて
1994年5月1日、イタリア・イモラサーキットで行われたF1サンマリノGP決勝。 レース中のクラッシュ事故で、不世出のF1ドライバー、アイルトン・セナ(享年34)が命を落とした。 イモラサーキットにあるセナの銅像(2003年撮影) この記事の画像(28枚) 【A Latchkey セナ没30年追悼ver.はこちら】 世界中が悲しみに包まれたあの日から30年。貴重な写真の数々と共に、彼の人生と知られざる真実が、今ここに浮かび上がる。 語り手は、日本が誇るF1フォトグラファー、金子博氏。F3時代からセナの姿をつぶさに追い続けたレジェンドだ。 日本のF1ブームの立役者だった 速さと強さの根底にあったものとは?人間・セナの魅力と苦悩とは?各時代を切り取った珠玉のフォトグラフをもとに、金子氏が語り尽くす。 第一印象は“生意気なガキ” 「ほとんどの場面が記憶にあるから、思い出がよみがえってきちゃって、
3年前、甲府市で一方的に好意を寄せていた女性の住宅に侵入し、両親を殺害して住宅を全焼させたなどとして殺人や放火などの罪に問われた当時19歳の被告に対し甲府地方裁判所は「年齢を最大限考慮しても、刑事責任は重く、更生の可能性も低い」などとして、求刑どおり死刑を言い渡しました。 18歳と19歳を「特定少年」と位置づける改正少年法がおととし施行されて以降、「特定少年」に死刑が言い渡されたのは初めてです。 甲府市の定時制高校に通い当時、19歳だった遠藤裕喜被告(21)は、3年前の10月、一方的に好意を寄せていた女性が暮らす市内の住宅に侵入し、50代の両親を殺害したほか住宅を全焼させたなどとして殺人や放火などの罪に問われました。 これまでの裁判では検察が責任能力はあったとして死刑を求刑したのに対し弁護側は責任能力が著しく減退していた心神こう弱の状態だったなどとして死刑にしないよう主張していました。 1
あまりに衝撃的なことに気づいてしまい、誰かに聞いて欲しかったのではじめて匿名ダイアリーを利用する。半年ROMってる時間がなくてごめん。 子どものころから漫画が好きで、アニメもまあまあ好きで、大学は文学部いって、自分はオタクだと疑うことなく40年生きてきた。 でも、ワンピースも鬼滅も通ってない。巷に溢れた異世界転生にまったく興味ない。 幼稚園児で火の鳥を読み、家にある手塚治虫を読み、父親の買ってくるビッグコミックを読み、岡崎京子を読み、ルネッサンス吉田を読み、岩浪れんじを読んで生きてきた。最近は昔から興味がある学生運動の知識を広げたくて、重信房子の本を読んでいる。(思想性の問題ではなく、子どものころからエンタメとして学生運動への興味がすごい) 自分はもしかして、オタクではなく、サブカル女なのではないだろうか?! 今まであらゆる努力をしてオタク仲間やオタクな彼氏を作ろうとしてきて撃沈してきたの
プロフェッショナル仕事の流儀 @nhk_proff NHK番組公式Xです。2006年の放送開始以来、高倉健さん・吉永小百合さん・宮崎駿さん・イチローさんなど第一線で格闘するプロフェッショナルを密着取材してきました。制作現場からプロデューサーがつぶやきます。お付き合いいただければ幸いです。利用規約は → nhk.jp/rules www4.nhk.or.jp/professional/ プロフェッショナル仕事の流儀 @nhk_proff #ジブリと宮﨑駿の2399日 スタジオジブリの世界的な映画監督 #宮﨑駿 さん(82)は、いかにして新作 #君たちはどう生きるか を作り上げたのか。創作の舞台裏で、繰り広げられていた物語。 あす16(土)よる7:30~ #プロフェッショナル #宮﨑駿スペシャル pic.twitter.com/OXOF3JX4Pa 2023-12-15 23:30:01
2022年、この世を去った稀代のプロレスラー・アントニオ猪木。プロレスというジャンルに市民権を与えようと奮闘してきた猪木の言動は、一介のスポーツ選手のそれとは違う、謎をまとっていた。 ここでは、“時事芸人”であり、プロレスファンでもあるプチ鹿島さんの著作『教養としてのアントニオ猪木』(双葉社)より一部を抜粋。プロレス時代のことをあまり語らない長州力が、珍しく熱く語ったという、猪木の「マッチメイク論」とは――。(全2回の1回目/後編を読む) 猪木の死を、長州力はどう語ったのか ―人生を「マッチメイクする」― 猪木死すとの報を受けて、紙媒体でもさまざまな猪木特集が組まれた。読みごたえがあったのが『KAMINOGE(131号)』だ。この月刊誌は「世の中とプロレスするひろば」というモットーを掲げ、「特にプロレスを語らないプロレス本」という独自の立ち位置にいる。 表紙を飾るのはレスラーや格闘家のほか
かつて表参道の同潤会アパートにあった丸玉商店 同潤会青山アパートメント。現在表参道ヒルズがある場所には、大正15年に竣工された歴史的な集合住宅が表参道のシンボルだった。80年代の半ばからは、この建物にハイセンスなブティックやギャラリーが数多く入居。ラバーソールをはじめとするロンドンから直輸入されたシューズを扱う “丸玉商店” もそのひとつ。 当時、いわゆるラバーソールは入手困難品。クラッシュのメンバーがこの靴を履いている姿を雑誌で見て原宿の老舗店に行くがサイズがない。何とかならないものかと男性のラバーソールを履いたが、ぶかぶかに加えて重過ぎる。これに3万円近くは出せないのが本音。売っている店は限られていたし、値段も当時としては高価だった。 そもそもレディースのサイズがないから仕方ない。でも、クラッシュと行動を共にしていた女性シンガー、パール・ハーバーのように履いてみたい。知り合いのデザイナ
株式会社rn pressは2023年で設立3年目になる。社員は私一人だ。アルバイトもいない。今回初めて版元日誌を依頼されたので自己紹介をしたいと思う。とはいえ、明るく楽しく自社を紹介したいところだが、なぜ私がいまの仕事を始めたかを語るにはどうしても生い立ちが深く関係していて、せっかくの機会なので自分のことを少し話そうと思う。42歳の若輩者の戯言だと思って、ぜひご一読いただきたい。 * * * 私は母と兄を自死で亡くしている。父も十代で他界し、祖父母はもういない。一度結婚をして息子がいるが親権は離婚した元夫がもっている。私はおそらく多くの人がもつ家族観をもっていない。おそらくこれからももつことはできない。小説やドラマに出てくるような家族像は、私にとってはドラマや小説のなかの話だ。ほんのわずかな記憶から血縁への強い憧れはあるのに、それが自分ではうまくつくれないことにいつも不甲斐
黒電話と『1973年に生まれて』とらくらくホン 2023.08.08 Updated by yomoyomo on August 8, 2023, 15:34 pm JST 「どうも、納得がいきません」 「何がでしょう」 「一生というものが短かすぎます。私などはやっと今、プロローグの段階が終って、これから仕事でも遊びでも本格的にと思ったら、もう残された時間がすくなくて、何をするにも時間制限が気になります」 「わかりますがね、しかし、贅沢(ぜいたく)をいっていらっしゃる」 (色川武大「暴飲暴食」) 以下、敬称略。 前回帰省した際に、実家でこなすべきミッションが一つありました。誰も使用しなくなって久しい固定電話の解約です。以前、NTTに問い合わせたところ、黒電話を返却する必要があると言われ、実家にそれが残っていないか確かめる必要がありました。少し探してみましたが、黒電話は見つかりません。捨てた
ホーム > ニュース総合 > 特集・コラム > 氷川竜介の「アニメに歴史あり」 > 【氷川竜介の「アニメに歴史あり」】第46回 “残る映画”ってなんだろう?「シン・仮面ライダー」配信開始に寄せて 庵野秀明監督の映画「シン・仮面ライダー」が、Amazon Prime Videoにて7月21日から配信される。3月18日に公開開始、6月4日に主な劇場での上映を終了したばかりであるものの、配信ならではの価値が付加されるのでは、と期待している。 もちろん劇場映画だから、映画館の鑑賞が基本である。映像や音響も、暗闇の中で光と音に集中することを前提に作られている。しかしながら本作の場合、1971年のテレビシリーズが原点であり、怪人単位でエピソードを積んでいる構造があるから、分割視聴も可能となっている(実際にクモオーグ編を切り出してテレビ放送、先行配信もされた)。 落ち着いた家庭内の視聴環境も、優位に作動
何に突っ込むがいいんだろうか? 投資弱者なのでアドバイスいただきたい。 たまたま10万円が現金で手に入った。 このまま貯金として口座に入れておくのもいいんだが、計画性がない自分のことだから知らず知らずのうちに使ってしまう気がする。 臨時収入としてパーッと使うには多いが、そのままにしておくのはなんとなくもったいない額。 それならいっそ投資のチャンスかなと。 元々なかったようなものだし、失敗してもいいかなくらいの気持ち。 やっぱり利益とかいったん無視して好きな企業の株を応援感覚で買い、優待券を使うか、 安定してそうなファンド?を買ってほったらかしにしておくのがいいのかな。 自分はこうしたよ、とか、今するなら絶対これ!などいろいろな角度のご意見いただけると嬉しいです。
僕とツネちゃんは1991年の夏に出会った。Hi-STANDARD 結成のためにスタジオに集合した時が初対面だった。 ハイスタは4人組だった。すぐに辞めることになるボーカルの人とナンちゃんが新しくバンドを組もうというところから始まった。僕とナンちゃんとはお互いに前のバンドで対バンをしていて、すでにライブハウス仲間だった。僕は下北沢のライブハウスで働いていたので、そこに出入りするバンドマンの動向に詳しかった。そんな僕のところにナンちゃんが「新しくバンド組むんだけど、誰か体が空いてるギタリストいない?誰かがバンドを辞めたとかいう情報ない?」と相談に来たのだが、当時やっていたバンドに限界を感じていた僕が「おもしろそうだからオレやりたい!」と立候補した。「ドラムは誰がやんの?」と聞くと、どうやらボーカルの人が連れてくるとのことだった。ナンちゃんはそのドラム君を知っていたようだが、僕には聞き覚えのない
新入生の皆さん、そしてご家族、ご親族の皆さま、おめでとうございます。 私自身も東大の卒業生ですので、入学時の受験戦争からの解放感、新しい学生生活を始めるわくわく感は、今もよく覚えています。 長い受験勉強が終わって、ついに自由。たくさん遊んで、恋人作って、ガンガンやっていいと思います。 同時に、大学の4年間は、「自分で創り、自分で切り拓く、自分の人生」のスタート地点です。そしてこれからの皆さんの人生の中で、一番自由に、自分の器を広げ、自分の夢を探して突き進める時期でもあります。 私は東大卒業後、発展途上国を日本の立場から支援する国際協力機構JICA、民間の経営コンサルティング会社のマッキンゼーの日本オフィスと南アフリカオフィス、世界銀行、それからビル・ゲイツがマイクロソフトを辞めて、途上国の保健医療の問題を解決するために作ったゲイツ財団で、世界の貧困や感染症に立ち向かう仕事をやってきました。
15年来の友人が亡くなった。 初めて知り合ったのはTwitter上だった。同じらき☆すた好き同士で相互フォローになった我々は、時々タイムライン上で絡むようになった。 お互いにTwitter廃人だったし、当時のTwitterは今よりも活発(体感)で、息をするようにツイートしていたからほとんど毎日雑談してたようなものだった。 リアルで初めて会ったのもらき☆すたのオフイベントで、鷲宮町卒業式とかいう本来らき☆すたのオフイベントでもなんでもないんだけれど、配布される記念コインの絵柄はらき☆すたのキャラだったし当日はグッズも販売されるし、挙げ句ケロロ軍曹まで来るときたもんで(マジでなんで?)、当時の周囲のらき☆すた関係フォロワーはほとんどみんなこのイベントに参加していたんじゃないかと思う。 そんなこんなで当時18歳の自分と、当時29歳の彼は初めて対面した。若かった自分は彼のことをこの頃からすでにおじ
「今、心折れかけています」 「プロレスでは、ここ10年くらいで1回しかギブアップしていないですけど、育児では、ここ3か月で何十回もギブアップしています」 こう話すのは、数々の実績と圧倒的なパフォーマンスで現在のプロレス人気を回復させたとも言われる、新日本プロレスのスター、オカダ・カズチカ選手。 去年、第一子の長男が誕生し、プロレスラーとしては異例の2週間の育休取得を宣言しました。 “強さの象徴”ともいえるオカダ選手に待っていたのは、思わぬ“ギブアップ”の日々。 育児と向き合うオカダ選手の新たな素顔と、育児をする親たちに伝えたいメッセージとは。 (スポーツニュース部 記者 松山翔平) 去年8月、偶然1つの記事が目にとまりました。 “オカダ・カズチカ「育休頂けました」” 最強のヘビー級選手を決める新日本プロレスの大会「G1クライマックス」で連覇を果たし、その翌日、第一子の誕生と育休取得を宣言し
『孤独のグルメ』の原作者・久住昌之と、『酒場放浪記』の吉田類による昼酔い放談が実現! ふたりが選んだのは、創業半世紀を超える銀座の名店「大衆割烹 三州屋 銀座本店」だ。 ひとり飯とひとり飲みの二大巨星による放談、一体どんな戦い(?)になるのか? ――意外にもおふたりが対談するのは今日が初めてなんですね。ドリームマッチが実現したような感じでうれしいです。 久住 ドリームマッチって、何の(笑)。大げさだなあ。類さんに最初にお会いしたのは、まだ移転する前の、中目黒の藤八。あそこで宴会をやったときにご一緒したんですよね。 吉田 『孤独のグルメ』と『酒場放浪記』というのはファンがカブってるみたいで。だから今までも2人で出てほしいという話は何度かあったんですが、ようやく今日実現しましたね。 久住 この間、福井県の敦賀で駅前の店に入ったら、いきなり類さんのサインがあって。こんなところにも来てるんだ……っ
日経ビジネス電子版で「『ア・ピース・オブ・警句』~世間に転がる意味不明」、日経ビジネス本誌では「『pie in the sky』~ 絵に描いた餅べーション」を連載中のコラムニスト、小田嶋隆さんが亡くなりました。65歳でした。 小田嶋さんには、日経ビジネス電子版の前身である日経ビジネスオンラインの黎明(れいめい)期から看板コラムニストとして、支えていただきました。追悼の意を込めて、2021年11月12日に掲載した「晩年は誰のものでもない」を再掲します。 時の権力者だけでなく、社会に対して舌鋒(ぜっぽう)鋭く切り込む真のコラムニスト。その小田嶋さんがつむぐ1万字近い原稿を、短い言葉でどう表現するか。記事タイトルを短時間で考える担当編集者にとっては、連載の公開前日は勝負の1日でもありました。 再掲載するコラムは療養中の病室から送っていただいた原稿です。「晩年」という言葉やそれを何も考えずに使う社
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