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ブックマーク / 1000ya.isis.ne.jp (8)

  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • 0886 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    エセー ミシェル・ド・モンテーニュ 岩波文庫 1965 Michel Eyquem de Montaigne Essais 1580~ 1588 [訳]原二郎 二三七・一七七・三四・九・六・四・一三。昨日の衆議院議員総選挙の結果を示す数字だ(二〇〇三年のこと)。いやというほど見せられた。自民・民主・公明・共産・社民・保守・無所属その他の順になる。 昨夜は抜け切らない風邪の咳をコンコンしながら選挙開票番組を見ていた。毎度のことながらの勝者と敗者の押し絵のような狂喜と挫折。「バンザイ、バンザイ」陣営と「不徳の至り」候補者の画面が交互に羅列して、ぼくはいつものことながらすぐ興味を失っていた。アナウンサーは「これは二大政党の時代の幕開けです」と何度も言っていたが、そんなことはあるまいと思った。 選挙開票を見る前は女子バレーの世界大会を見ていた。そこでも奇妙なことがおきていた。その実況をしていた局で

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  • 1082 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    アンチ・オイディプス ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ 河出書房新社 1986 Gilles Dejeuze & Felix Guattari L'Anti-OEdipe 1972 [訳]市倉宏祐 さっきから書斎の机上に『アンチ・オイディプス』と『千のプラトー』が置いてある。密告者が持ってきた秘密の二重標箱のようだ。いずれも戸田ツトムと岡孝治のブックデザインで、浩瀚を律するにふさわしい。それを少し斜めに見ながらキーボードを打っている。いずれも最初に入手したときの書きこみを入れた2冊ではない。その2冊はだれかによって、どこかに攫われた。 この2冊はジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリが二人で一人になり、一人が二人にも多数にもn+1にもn-1にもなって、荒々しい華厳ともいいうるような一蓮托生で書きあげたもので、しかもこれが一番肝心なことだが、「資主義と分裂症」というとんでもない統合

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  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

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  • 0884 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    2年ばかり一人で門付をして19の年になったとき、親が嫁をもらえ、といった。おらが眼なんぼか見えて一人で歩けるといってみたところで親にしてみれば心配もあるべし、病気になることもあるべし、おらを案じて早く一緒にさせたかったんべ。 19の花婿と17の花嫁と、小湊で祝言あげてカマドもった。唄っこうたえる娘だったから、2人してすぐ門かけだ。おらが三味線ひいで、かかあ唄って、米もらって歩いたんだ。 高橋竹山は明治43年に青森の小湊で生まれた。幼児のころに麻疹をこじらせて失明同然となった。青森が大凶作に打ちひしがれていた時期である。小学校に入ったが、3日でやめた。近在のボサマから三味線を教えられ、それからは勝手な弾き方で門付をはじめ、17歳で独り立ちをすると、また門付を始めた。「門付して歩いて三味線がうまくなれるもんでねえ。競争相手もなし、だいいち生活のために困って歩いているんだもの、上手も下手もあった

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  • 0947 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    この『春宵十話』が毎日新聞に連載されていた10日間、高校から大学に入る途中の時期にあたっていたぼくは、九段高校がある飯田橋から中央線・京浜東北線を乗り継いで桜木町に着くと、しばらく横浜をほっつきまわるということをしていた。このことについては第894夜にもちょっとふれたことである。野毛、黄金町、ボートハウス、牧はこのとき体におぼえた。 あるとき、古めかしい開港記念会館の講堂で小林秀雄の講演が開かれていて、そこに入りこんだ(ひょっとしたら文芸春秋の講演会か何かで、そうだとしたら申し込み制で、事前にハガキでも出していたのかもしれない)。 小林秀雄は驚くべき人物だった。舞台袖から演壇にゆっくり歩いてきてそこに立つや、いま茶碗で冷や酒をぐっと一杯ひっかけてきたんだが、こういうときに冷や酒で喉を潤しながらぼくが喉ごしに考えていることなど、みなさんにはどういうものかおわかりにならないでしょう。いや、茶

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  • 1058 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    ゲーデル再考 ハオ・ワン 産業図書 1995 Hao Wang Reflections on Kurt Gödel [訳]土屋俊・戸田山和久 ここのところ、ぼくの髭は伸びほうだいである。もともとたいして伸びない体質だからちょっとしか手を入れない。それでも"鶴仙人"のような髭になった。胃癌摘出のための入院中に伸ばしっぱなしにしたのを、そのまま1年近く放置したためだ。 そんな自分の髭を眺めていると、なぜ男は髭などはやすようになったのか、いや石器人や縄文人たちは髭を剃ることなど思いもつかなかったろうに、いつから剃る気になったのか、まったく妙な文化があったものだと、そんな変なことばかりを思いつく。そのうち、さきほど変わったことを思い出した。 髭については、こんなおかしなパラドクスがあるのだ。「床屋のパラドクス」というもので、こういう問題だ。「その村の床屋のAは、自分で髭を剃らない村人全員の髭を剃る

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  • 松岡正剛 千夜千冊

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