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考え方に関するtaberu_hakodateのブックマーク (5)

  • 「察して欲しい」という、原始的な欲求 雑誌VERYの広告から - スズコ、考える。

    数日前からTLにちらほら上がって来ていた雑誌の新聞広告、気になっていたのですがさっき初めて全文読みました。んで、思ったこと。 togetter.com まとまってましたので一応貼っておきます。 私は「察する」能力がどうやら結構に低い(前にここでも書いたことが有るけど)ようなので、このトイレットペーパーのくだりを読んでまず思ったんです。 「トイレットペーパー、買ってくればいいの?」 「だったらポチればいいじゃないすぐよ?」 でもそうじゃない。 じゃあ、短絡的にトイレットペーパー買って帰ればいいのね?って思って適当な銘柄買って帰ったらまたそれが多分火種になる。いつもの銘柄を把握もしてないの?って思うよね、そうなるよね。 察するのが苦手な私がまず思うのは「トイレットペーパーの管理という私が今になっている負担を減らしたいから協力して欲しい」という要望は言葉では伝えないんだろうか、という疑問。「トイ

    「察して欲しい」という、原始的な欲求 雑誌VERYの広告から - スズコ、考える。
  • 私たちがネットで失ったもの/YouTuberが必要とされるわけ - デマこい!

    「2.5%だってさ」 居酒屋で鍋をつついていた。大手メーカーで企画開発をしている彼は、どこか投げやりな口調だった。 「何が?」 「イノベーターと呼ばれる人の割合だよ」 「ああ、『イノベーター理論』の」 マーケティング理論の1つだ。新製品を世に出すと、まずは「新しいもの好き」な消費者が飛びつく。彼らを〈イノベーター〉と呼び、全消費者の2.5%だと言われている。 「だけど、これって多すぎると思わないか」彼はビールジョッキを置いた。「たとえば潜在的に100万人の需要が見込める市場に向けた製品なら、最低でも2万5000人は買うことになるだろ」 「単価4,000円の製品なら、それだけで1億円の売上だよね」 「どう考えても楽観的すぎる。モノを作って、定常的なプロモーションをするだけで、そんなにたくさんの消費者が飛びつくなんて……今の日ではありえないよ」 わずか10年前と比べても、モノを売りづらくなっ

    私たちがネットで失ったもの/YouTuberが必要とされるわけ - デマこい!
    taberu_hakodate
    taberu_hakodate 2014/12/08
    もやっとしていることの一部分
  • http://www.hanako-no-blog.com/entry/2014/04/18/083816

    http://www.hanako-no-blog.com/entry/2014/04/18/083816
    taberu_hakodate
    taberu_hakodate 2014/04/18
    「察して」と相手に期待するだけで自分で勝手にハードルを上げてイライラしちゃうもんねー。そりゃ、嫌な気持ちにもなる。
  • 第三の目、新垣氏が謝罪により明かしたかったものは何か - 夜の庭から

    一ヶ月あまり「書くこと」を考えていた山田みぃあねこ(ΦωΦ)です。 深く考えるきっかけはこの記事でした。 偽ベートーベン事件、罪深い大メディアと業界の悪習慣 あまりに気の毒な当代一流の音楽家・新垣隆氏(3):JBpress(日ビジネスプレス)  心情は理解するものの…… 私は、伊東氏の1目の記事には理解を示しました。はてブでは「あまちゃんの作曲家に対するdisりだ」と反感を呼び炎上していた例の記事です。 偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ あまりに気の毒な当代一流の音楽家・新垣隆氏:JBpress(日ビジネスプレス) この記事については、音楽の狭い世界ではよくあると言いますか……他分野でもアカデミックでは同様の趣きがあるのではないでしょうか*1。私が学生の頃も「坂龍一が好きです*2」と言えない空気でしたので、恩師の姿を懐かしく思い出しました*3。 とは言え、3目の記事には疑

    第三の目、新垣氏が謝罪により明かしたかったものは何か - 夜の庭から
  • 夢(65) - DALAI_KUMA

    いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。 まずいな、と思う。 あまりにも行き過ぎたバッシングだ。 確かに論理的な破たんはあるが、科学におけるもう一つ大切なことを私たちは忘れている気がする。 それはIntuition(直観)と呼ばれるものだ。 彼女は何かを見つけ、何かを伝えたいとしている。 このことは、すべての前提に対して優先するものだと私は思っている。 某学会までもが彼女のContributionを痛烈に批判することの危うさを私は感じている。 仮に彼女の発見と言われるものが間違っていたとしても、間違いだとわかることが科学の進歩につながる。 もし正しいとしたら、いったいどうやって謝罪するというのだろうか。 これは、社会やマスコミや学会の致命的な倫理的破たんだ。 正しい対応の仕方とは何だろうか。 私が理化学研究所の所長であったとす

    夢(65) - DALAI_KUMA
    taberu_hakodate
    taberu_hakodate 2014/03/18
    その発想はなかった。
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