東京都心部の地形は、西側の「武蔵野台地」と東側の「東京低地」に分かれている。1590年に徳川家康が江戸へ入府した頃、海に近い低地では、井戸を掘っても塩水しか得られなかった。大勢の家臣団とその家族が暮らすには、圧倒的に飲み水が足りない。そこで、家康が真っ先に手掛けたのが、上水道の見立てだった。今回の散歩は、2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」ではほとんど触れられなかった江戸のまちづくりについて、改めて注目してみた。まずは、最初の水道である「小石川上水」が発展したといわれる「神田上水」の遺構をたどってみよう。 1:神田上水取水口大洗堰跡 2:神田上水旧白堀跡 3:巻石通り(神田上水跡) 4:小石川後楽園(神田上水跡) 5:文京ふるさと歴史館(神田上水の石) 6:文京区立本郷給水所公苑(神田上水白堀再現) 7:東京都水道歴史館 8:神田上水掛樋跡 9:江戸城牛込見附跡 10:市ヶ谷門跡
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