ゴールデンウイーク真っただ中の今年5月2日、ひとりの男の死をめぐる衝撃が日本のスポーツ業界を駆け巡った。故人の名は広瀬一郎、享年61歳。最後の肩書は「スポーツ総合研究所株式会社所長」だが、「元電通」という方が通りはいいだろう。株式会社電通勤務時代(1980〜2000年)、広瀬はスポーツ、とりわけトヨタカップやワールドカップ(W杯)といった大会のプロデュースを数多く手掛けている。ただし広瀬が最も強みを発揮し、よくも悪くも話題となったのが、電通という枠を飛び出した時の壮大なチャレンジであった。 まず、電通からW杯招致委員会事務局に出向した時の02年W杯日本招致活動(94〜96年)。次に、電通を退社した直後の株式会社スポーツ・ナビゲーション設立(00年)。そして最近では、出身地である静岡県の知事選にも立候補して話題になった(13年)。今にして思えば、そのいずれもが壮大かつ破天荒な挑戦であった。
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